桂 春団治さん 落語家

1997年03月-月刊:介護ジャーナル掲載より

楽天的気質で芸能生活50年を乗り越える苦しい副作用に耐え、C型肝炎に打ち勝つ

「芸のためなら女房も泣かす」の演歌で有名な落語家の桂春団治(当時66歳)。その3代目である。
洗練された芸風でありながら色気を感じさせる数少ない落語家として知られ、芸能生活50周年という上方落語界の大御所である。
上方お笑い大賞、芸術祭優秀賞など数々の受賞に輝く一方で、手術や肝炎とも闘ってきた。
今は「家内と温泉に行くのが楽しみ」という春団治さんの噺家人生は、まだまだ続く。

◎副作用に耐えた肝炎治療開腹手術は4回経験

「今はいたって健康」という春団治さんだが、93年の2月から半年間、C型肝炎で苦しい思いをした。3週間の入院の後、通院によるインターフェロン治療が始まった。副作用がきつく、「注射打ってから1〜2時間したら、気分は悪いし、頭はガンガンするし、夜は寝られへん。
家内にずっと背中さすってもろうてました」。仕事をすべてキャンセルし、治療に耐えた。その甲斐あって、4人に1人しか効かないインターフェロンの効果が出、ついに血中から肝炎ウイルスが消えた。
「よう辛抱しはったねって、看護婦さんにほめられました」。
好きなお酒はなかなかやめられないが、週に1〜2回は抜けるようになったという。
これまでにも4回、開腹手術を受けたそうで、「生命力あるなあと言われてます」。
現在の健康法は、昼食後に1時間歩くこと。車ではなく、なるべく電車を使うこと。そして歯を大事にすることだそうだ。

◎サラリーマンを経てこの道へ息子との葛藤も今は思い出

昨年、春団治さんは芸能生活50周年を迎えた。先代は実の父。継ぐ気はなく、サラリーマンも1年経験した。
たまたま荷物持ちで、公演についていったとき、前座が急病で倒れ、代わりに舞台を務めたのがきっかけだった。
「よう50年もやってこれたと思います。ネタのレパートリーも少ない方やし。けど、自分のネタは他の人には負けへんと、生意気ですけど思てます」。
落語家に定年はない。「みんな倒れるまでやってますなあ。元気やのに名前ゆずる人は少ない」。
春団治さんも引退はまだ考えたことはないが、将来、名前をゆずり、自分は隠居名にして、楽しみながら仕事をするのもいいかなと話す。
「親父は隠居名を考えてたんですよ。その名前、つこてあげたい気もします」。親と子、跡継ぎ…名門が抱える悩みを、かつての春団治さん親子も経験した。
2人の男の子は、落語とは無縁の人生を歩んでいるが、長男は自ら進んで噺家を志したことがあった。
「先代の親父も僕に継がそうとはしなかったから、僕も子供には何にも言わなかった。けど、やる以上は、春団治の名前を継ぐんだし、他の弟子より厳しく教えました。息子はそれに反発して、半年でやめてしもた。
こればっかりは、しょうがないですね」サバサバと語る。「息子がもし噺家になってたら、こんな気楽にしてられへんでしょうな。あっちこっちで気使うて、頭のひとつも下げないかんから」安堵の表情が浮かんだ。

◎年齢と共に味の出せるいい仕事明日は明日の風が吹く

落語は、正解のある仕事ではないから、「同じネタでも、回数をかさねるごとに磨きをかけることができる」経験や年齢が生きてくる仕事である。「年とればとるほど、ええ味が出てくるから、ええ職業やと思います」。
長く続けるコツは、先のことを考えないこと。
「まず、年のこと考えたらアカン。明日どうなるか、考えたらアカンと思います。
倒れたら、そのとき考えたらええ」。
苦しい闘病生活の最中も、「死ぬなんてこと、考えなかったですよ。
治りゃ、また酒が飲めるという気分でしたね」長生きの秘訣は、楽天的気質にあると見た。
「子供は3人とも1人前になったし、女房と2人で食べていけたらええ。
女房も無理せんといて、言うてくれますから」。持ち前の色気に余裕が加わって、ますます楽しませてくれそうだ。