松山 善三さん 映画監督・脚本家

1997年11月-月刊:介護ジャーナル掲載より

老人ホームを舞台にした芝居で“介護”に光あてる“人は誰しも老いるもの”と自ら死を覚悟!

『名もなく貧しく美しく』、『典子は、今』、『喜びも悲しみも幾歳月』など、人生の困難な問題を正面からとらえつつ、人間の善意を肯定し、温もりある人間賛歌を数多く描いてきた映画監督で脚本家の松山善三さん。
自らの肩書きを“ミュージカルショップ店主”と名乗り、多くの仲間たちと質の高いミュージカル作りにも取り組んできた。
その松山さんの脚本による、老人ホームを描いたミュージカル『ご親切は半分に』が今年3月に東京で上演され、大きな話題を呼んでいる(当時72歳)。

◎舞台と映画で全国を巡回する

舞台は“有料老人ホームあかつき”。若い介護福祉士たちと個性豊かな老人たちとの悲喜こもごもの人間模様が明るいタッチで描かれている。
この東京公演の後、各地方自治体から上演の要望が相次ぎ、このほど全国地方公演が決定した。
今年12月(1997年)から各地を回る予定だ。
さらに同作品は、松山さんの監督によって『一本の手』という新たなタイトルでの映画化も実現し、舞台公演と平行して各地方で上映される。
「介護に携わる人たちの存在を、できる限り多くの人に知ってもらいたいのです」と語る松山さんの思いは、今、舞台と映像を通して全国に広がろうとしている。

◎介護専門職に十分な社会的地位を仕事に希望と誇りを持てるように

群馬社会福祉専門学校の創設に理事として携わった時に、入学試験を作文1本だけにすることになった。
作文を書いたのは中学を卒業したての人から30代まで、介護福祉士になりたいという数多くの若い志願者たち。彼らはすべて、おじいさんやおばあさんなどの身内や親しい人を介護が必要な状態を経て亡くした、介護を身近で体験した人たちだったという。
悲惨な状況で亡くなられた人もいれば、大往生だった人もいる。松山さんには、作文を読むうち、そういった体験を通して今度は自分が障害を持っている人やお年寄りの助けになりたいと思うようになったという純粋な気持ちがストレートに伝わってきた。
「感動しましたよ。涙なくしては読めないという感じで。
こういう若い人たちの力になりたいと思ったんです」。
“人は誰しも老いる”という現実をふまえて、今の若い人たち、特に介護に携わる人たちの存在に光を当てていきたいという松山さん。
しかし、介護専門職に対して十分な社会的地位が与えられていない今の現状は憂うべき問題だ。
「介護してくれる人がいなければ、死ぬことも難しいですよ。
優れた介護があればあるほど、良い死に方、良い生き方ができるのです」。
その仕事に希望と誇りを持てるようにしてあげたいというのが松山さんの一番の願いだ。

◎老人ホームはホスピスになるべきだ質の高いグループホームを各地域に

介護には、お年寄りに自分なりの生きがいをみつけてもらったり、話し相手になってあげたりする、十分な時間とゆとりが必要だ。
「なのに今の特別養護老人ホームは画一的で軍隊みたいな体操だの、お遊戯だの、余計なスケジュールが多すぎるんですよ」ときっぱり。
将来的に、特別養護老人ホームはホスピスのようになるべきだと松山さんは考えている。
安楽死の問題は避けては通れない。
「自分自身も含めて、本当に死にたい人は死なせてやってほしいという気持ちですね」。
そしてホスピスに至る前段階として、質の高い小さなグループホームを各地域に無数に作って、「まだまだホスピスにはやらない」という心意気でお年寄りの自助能力を高めていく。
しかし、「50代ぐらいからもう一度社会のルールを勉強し直す老人教育が不可欠」と高齢者の側にも手きびしい。
「老後の集団生活が下手な人が多い。
わがままいって意地を張ったり、けんかをしたり。基本は礼儀ですよ」。

自身の老後については、妻で女優の高峰秀子さんとふたりで毎日のように話し合っているという。
「自分が死ぬ時は餓死が一番。ここまで、と決まったら自分で食を絶って死にたいです。
妻は“その時は私は枕元で蒲焼きでも焼いて食べるわ”なんて笑ってますけどね」。
夫婦でどちらが先に死ぬのか。
最期は見事に死ねるのか。
そんなことはその時にならないとわからない。
「本当は死ぬのが怖い。だからこそ、日頃から死と向き合いたいんです」。
人間誰もがいつかは死ぬ。
要は、「早く覚悟をしておく」ことなのだ。遺産などの細々とした身辺整理はもうすでにすませてあるという松山さん。
どのような施設を造り、さまざまな世代の人たちとどのように共存し、悔いを残さず生きていくのか。それは自分自身への問いかけでもあったのだ。