南田 洋子さん 女優

1996年12月-月刊:介護ジャーナル掲載より

夫の介護をする時がきたら、心をケアしたい暗くならず、明るすぎず、いつも自然体で

芸能生活45年(1996年時点)を数える南田洋子さん。その世代の女性をごく自然に表現することのできる貴重な女優さんである。「心身ともに年相応の美しさを持っていたい」という姿勢が、キャリアだけではない存在感を生みだしている。夫で俳優の長門裕之さんとのおしどり夫婦ぶりは有名で、「優しさと思いやりと勇気を持ってアドバイスしあう」ことが円満の秘訣と話す(当時63歳)。

◎相手を思いやればこそあえて苦言も呈す

南田さんの女優としての本格デビューは昭和28年。「当時は女優さんというのはキレイでなきゃいけない、みたいな時代でしたけど、そのなかで全部が十人並みの自分をどういうふうにアピールしていこうかと随分考えた」結果が、『十代の性典』というセンセーショナルな映画作品への出演だった。そして、映画『太陽の季節』での共演で長門裕之さんと出会う。長門さんは南田さんの家に行き、南田さんのお母さんに「これからどうなるか分かりませんが、いまの自分に必要だからお宅の娘さんを下さい」と言ったそうだ。「それまでは『絶対に幸せにするから』と言う男性ばかりだったので、とても新鮮に聞こえましたね。こんな正直な人なら、たとえうまくいかなくなってもキレイに別れられるんじゃないかと思って」結婚を決意したという。夫婦で共演する機会も多い。才能がぶつかりあって危機を迎える芸能人夫婦もあるが、「私は仕事で一緒だとすごく安心なの。地方の舞台の仕事などで離れていると、毎日電話で話してても彼の状態がわからないから…」。仕事場でも家庭でも顔を合わせながら、うまく暮らしていく秘訣は「優しさと思いやりと勇気」なのだとか。仕事のこと、健康のことなど、思ったことは遠慮せず勇気を持って相手にアドバイスする。そして言われた方は素直に反省に結びつける。言うは易しだが、おふたりはそれを実践して30数年経つ。

◎まわりに迷惑をかけず年をとっても自然体で

女優という身体が資本の職業だけに健康には気を使う。年に1度は必ず人間ドックに入る。しかし何か病名を告げられても南田さんはさして気にしないのだという。「60過ぎたらどこか悪いところがあって当たり前。だから、順調に悪くなって順調に死んでいくのが私の希望なの。高齢だからというだけでいたわられたくないし、私自身も高齢をカサに着てつっぱりたくない。自然体でいたいの。暗くならず、かといって妙に明るすぎずにね」。定年がないので、病をおして生涯現役を貫く役者さんも多いが、「私はそういうふうには生きたくない。まわりの人たちに迷惑をかけるのはいやだから」。もしセリフが覚えられなくなったら、引退の時期を悟りたいという。夫婦ともに還暦を過ぎ、お互いの老後について語り合うこともある。「私は自分の母親が祖父や祖母の介護をしていたのを見てきましたから、結婚したらお義父さんお義母さんの介護もしなきゃと思っていました。その時は若かったから…。この先もし彼に何かあって介護しようにも、肉体的な世話はとても無理だと、いまこの年になって思う。『でも絶対、心だけは介護するからね』って彼にはいつも言ってるの」。そしてご自身が要介護になった時には施設入所と決めている。「彼が逢いに来てくれればそれでいいの」。夫婦にとっては精神的ケアが何よりの介護だと、南田さんはすでに心に留めている。

◎保険制度に意見あり国は切実な願いを聞いて

お母さんが施設に入所された経験から、南田さんは老健施設のことなどについても詳しく、公的介護保険にももちろん関心がある。「国は自宅で介護する方たちに免税をするシステムを取らなきゃ」。そして健康保険制度についても持論がある。「病院にかかった時、支払える金額であれば全額支払っておいて、もし1年間保険証を使わないでいたら点数が貯まるようにすればいい」。すると健保の赤字も解消し、いざ入院となったらその点数が使えて助かる、というわけだ。「私はもう随分前からそれを言い続けてるのに誰も聞いてくれないの」と憤る。「だって、いろいろな制度を受ける側にとっては切実な願いだから」。南田さんは、女優という夢を売る仕事と現実を正しく見極める生き方とを自然に両立させている人である。