杉 良太郎さん 俳優

1996年11月-月刊:介護ジャーナル掲載より

福祉活動は母から受け継いだ“私の血” 社会の歪みに憤るのは自然なこと

華やかな舞台を繰り広げる俳優・歌手としての活動のほかに35年にもわたり地道な福祉活動を続けておられることでも知られる杉さん。
阪神大震災の時にはいち早く食糧を載せた救援ヘリを飛ばし、現地では自ら炊き出しを取り分けて被災者に手渡す姿が見られた。
杉さんを知る人は「命を削って舞台を務めながらの福祉活動。
とても真似のできるものではない」というが、ご本人は「自然に身についただけ」だとさりげなく話す(当時51歳)。

◎少年の時に見た母の背中がいまの私を育ててくれた

私の母は宗教心の厚い人で、戦後の決して裕福とはいえないわが家の米びつから、物乞いのお遍路さんに半分を分け与えるような人でした。
少年の私は「なぜ?」と聞きました。
母は「結局はおまえに還ってくるんだよ…」と諭してくれたものです。
母の背中が眩しく見えた記憶があります。
私が福祉活動を続ける理由は、そんな母の影響を強く受けたことからくるのかもしれません。いわば“私の血”です。
きっと私がまだ母の胎内にいた時から私の血に宿ったもので、知らず知らずのうちに自然に身についたのだと思います。
ハンディを負った人、不治の病で苦しむ人、身寄りのないお年寄り、両親のいない子どもたち…。
こんな現実を見た時、人は何も感じないものでしょうか。
誰も望んでそうなったわけではありません。
こんな社会の歪みに憤りを感じるのは当然ではないでしょうか。
これは決して恵まれた自分の優位性からくる感覚ではありません。
目の前に困っている人がいたなら手を差しのべるのが、本来人の持つ自然さだと私は信じています。

◎悲しいマニュアル人間自分を省みることも必要

あの日、完全に破壊された神戸の街に立った時、自然の力、凄まじさに呆然としました。
昔なじみの風景が一変してしまったのですから、自分の原点を失くしてしまった思いです。
ヘリを使っての救援は、陸が駄目なら海、海が駄目なら空がある、と思ったからです。
私自身が日常的にヘリを使っているので、即そんな発想を得ました。
震災を目の当たりにしての教訓、というほどのものではありませんが、有事というのは平時の内にある、ということです。
今回の震災が人災と批判される側面には、マニュアル人間が多くなり、教科書通りにしか行動できなくなっていることが挙げられるのではないでしょうか。
戦後の学歴偏重社会の悪しき部分です。
柔軟性と責任を持って事に対処できる、そんなリーダーの養成が必要かと思います。
そして、何でも国や市へ要望として出す前に、自分を省みることも必要です。
ともすれば、大衆エゴにつながってしまうからです。
たとえばある施設を国が作る時、『大賛成だ、でも自分の住む地域にはちょっと…』といったような総論賛成、各論反対のエゴです。
しかし、行政がどうするかをじっと見守る姿勢はもちろん必要です。

◎芸のための精進だけでなく福祉病?を伝染すのも仕事

福祉、舞台、コンサート、公的な仕事と、自分の時間はほとんどありません。
自分で忙しくしている傾向もありますが。
時間のある時は絵を描いたり、彫金をしたり、詩を書いたりすることが多いですね。
特に絵は、3年前友人に勧められて始めたんですが結構楽しくて、絵画展も開いています。
お芝居は200人近くのアンサンブル、絵は1人の楽しみです。
絵筆を握っていると、気がついたら夜が明けていた…なんてこともあります。
もちろん芸能活動の方も、杉演劇の完成に向けて一所懸命精進を重ねています。
そして福祉活動、これはもう私の病気のようなものです。
本来罹りやすい病気のはずですが、欲、名誉、財産等を持った人々はなかなか罹りにくいんです。
そうですね、この先天性福祉病菌をまき散らすのが私のもうひとつの仕事だと思っております。

ボランティアで各地を廻る杉良太郎さん