小池 百合子さん 衆議院議員

1995年06月-月刊:介護ジャーナル掲載より

「自立めざして生き方選択。 政治基盤の大改革でより良い社会を」

ニュースキャスターから国会議員へ。
発足から関わった日本新党は、政権党となり、そしてこのほど結成された新進党では暫定的に広報活動委員長を務めることになり、小池百合子さんはわずか3年余りの間にめまぐるしい転身ぶりを見せた。
「失敗してもいいから迷ったときは前へ」の精神でチャレンジし続け、今「やりがいのある政治」に夢中のようだ。

◎エジプト留学からテレビ界へ自立をめざした選択

小池さんの経歴は異色だ。
関西学院大学社会学部に入学するが、わずか半年で中退し、海外留学の道を選ぶ。
しかもエジプトのカイロ大学という極めて特殊な選択である。
「日本は女性が使い捨てにされる社会でしょ。
そうならないために、自分に強いものを持ちたかったんです。
そのためには好きなことの方がいい。
で、語学ということになるんですが、英語は一般的だし、それなりに自信もあったので、プラスアルファを考えてアラビア語を選びました」自立をめざした生き方は、母親の教育方針による。
「中学時代から、とにかく自分の責任で生きられるようにと教え込まれました。
そのためには自信のあるものを持たないとダメということで」最初の1年間はアラビア語の習得、その後4年間社会学を専攻し、日本人で2人目の卒業生として帰国する。折りしもオイルショック勃発。
「まだその時期じゃなかったけど、他にいなかったから」と通訳に駆り出されたのがキッカケでテレビの仕事を始めることに。
竹村健一の番組「世相講談」のアシスタントを出発点に経済番組のキャスターまで13年間をテレビの世界で過ごした。

◎全体見すえた大改革の敢行で高齢化に対応を

政治参加へのきっかけは、キャスター時代に経済を勉強していくうち、政治に対する不満が大きくなったからだという。
「土地が投機の対象になり、それに対して政策当局は何もしないとか、こんなに働いているのに外国と比べて報われてないなあという素朴な不満がありましたね」政治家となった小池さんの福祉行政に対する考えは、地域性を重視し、官庁の縦割り行政をなくすことだという。
「国は大枠だけ決めてあとは地域がすべき。
全国同じやり方でというのは霞ヶ関の横暴だと思います。
また労働省、厚生省、自治省などバラバラでやるのでなく、一緒になって取り組まないとダメですね」この官庁行政については、労働省と厚生省、大蔵省と経済企画庁を合併するなどの思い切った改革が必要と訴える。
「日本社会の高齢化は外国と比べものにならないほど速いスピードで進んでるんです。
政治もマイナーチェンジじゃなく、基盤から変えないと間に合いません」と危機感を募らせている。
また小池さんは福祉には代価が伴うから慎重にとの意見も持つ。
「あれもこれもとなると税率もふくらんできます。
けれど税金を払う人の数は今後、減ってくるわけでしょう。
公的介護保険も賛成ではあるけれど、そのためには予算をどこからか取ってこないといけない。
サンタクロースはいないんですよ。
軍事費を削れと言う議論もありますが、世界情勢から見てやはり備えは必要だと思います」と全体を見すえた話をする。自身にとっての高齢化問題は両親。
「兄がいるんですが子供が4人いて家が狭いので、両親に何かあれば私がみるつもりです」具体的なことは決めていないが覚悟はできているそうだ。
小池さんの毎日も御多分にもれず忙しい。
「土、日も休みなしですから、ヒマがあったら寝てますね。
健康づくりも特になくて、たまにテニスやゴルフをするぐらい」人生観は「無私」。
私を無くし、奉仕の精神で人のためにというから、政治家として休みなく働く今の状況は本望なのかもしれない。