沖 守弘さん 写真家

1998年02月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時69歳)

“すべての人に尊厳ある死を”と献身したマザー箱やシステムだけの福祉ではもう立ち行かない

敬虔なカトリック修道女として、インドの極貧の人たちのために活動を続けてきたマザー・テレサが1997年9月、亡くなった。
報道写真家の沖守弘さんは、マザーを日本に紹介した第一人者である。
人口問題をテーマに写真を撮るため渡印した際、マザー・テレサと出会い、1974年から1981年までの7年間、密着してその活動を撮り続けた。
1978年、日本初のマザーの写真集『マザーテレサと姉妹たち』(女子パウロ会刊)を発刊。
それに続く全国での写真展は大きな反響を呼んだ。
マザー亡き後の現在も講演、写真展などを通じ、その遺志と活動を伝え続けている。

◎「死にかけている人の中に神がいる」病院も拒否する人を受け入れたマザー

マザーは、死にかけている人の中にキリストがおられるという。
宗教観が日本とは違うんですね。
僕だってクリスチャンじゃないから、その辺を理解するのに2年ほどかかりました。
どうしてあんなに献身的にできるのか、と。それでいろいろマザーの本を読んだり、実際に話を見聞きする中でわかってきました。
例えば、あるヒンドゥー教の信者が行き倒れの人をマザーのところに連れてきて、「この人を世話してやってくれ」という。
マザーがその人をありがたく受け入れて介抱するのを、その連れてきた人がじっと見ていてね、「あなたをここまで働かせるあなたの宗教というのは本物に違いない」といったんです。
するとマザーは「はい、そうです。
私は今、キリストのお身体に触れているんです」という。簡単にいえば、マザーは貧しい人を助けるのではなく、その人の中にキリストが宿っている、その人がキリストなんだと思って仕えているんです。
そのために朝、2時間にわたる祈りとミサを通して、今日も1日あなたのために働かせてください、という祈りがある。
マザーにとっては、朝の祈りがなければ1時間たりとも奉仕活動はできない。
完全に、神に仕える修道女として働いているんです。
マザーは聖職者ですからね、普通の人や看護婦さんとは考え方が違うんですよ。
『死を待つ人の家』でも、この人の病気を治そうなんて考え方はないんだから。
ここは病院じゃない、修道院なんだと。
治療するのなら病院に行ってください、病院も誰も扱ってくれないような人を受け入れている、というんです。

◎「真理はひとつ」と宗教越えて献身シスターには笑顔絶やさぬ教育徹底

マザーは『死を待つ人の家』に入ってきた人には宗教を聞くけれども、それは死んだ時にその人の宗教に基づく葬儀をしてあげたいから。
『死を待つ人の家』も、ヒンドゥー教の寺院の一角で始めたんですから、最初はひどく迫害を受けたんですよ。
石を投げられて殺されかけたこともあるし…。
でもマザーはけっして改宗させないというのが理解されていった。
それから、マザーは教育を大変大事にします。
貧困を救うのは教育である、と。
とにかく常に笑顔を絶やさずに働くということを、マザーは徹底してシスターたちに教育するわけです。
だからシスターたちはとても明るい顔をしてるんですよ。
もとはいいところのお嬢さんがほとんどですが、徹底的に教育される。
「傷つくまで与えなさい」と。僕は原始仏教も勉強しましたが、マザーがいっているのと同じことが書いてある。
今の日本の葬式仏教とは全然違います。

◎『死を待つ人の家』では満足して死ぬ日本の福祉や老人の方が悲惨

インドと日本では貧しさの度合いが違う。
でも、日本の方が深刻ですよ。
マザーが作った『死を待つ人の家』では、けっして悲惨な状況じゃなく、みんな満足して死んでいくんです。
マザーは、行き倒れの人たちが路上でそのまま死んでいくようなことにはしたくない、いわゆる“尊厳ある死”を迎えさせてあげたいと『死を待つ人の家』をお作りになったから。
同じ老人の施設でも、むしろ日本の方が悲惨なような気がします。
福祉というのは大体、マスで考えることでしょう。
僕らも、自分の好きな代議士を選んで、制度化して、法律化して、箱ができる。
そうすれば自分の老後は安泰だと思ってたんですよ。
ところが、箱はできたけれども誰が面倒を見るのか。
看護婦がいない、寮母がいない。
マザーは「私は“量”ではやりたくない。
私は常に1対1。
ここに老婆が死にかけてた、そしたら私はその人をキリストだと思ってやる。
この人が助かれば、次はもうひとりのキリストを、と思ってやる。
マスでは一切やりません」といった。
これは日本の福祉制度との基本的な違いです。
マザーはカトリックでも、豪華な教会を建てるのには反対しています。
私は祈る場さえあればいい、と。
だからマザーは、カトリックの中でも革命的な人だったと思いますよ。
それでも福祉先進国はみなクリスチャンの国ですね。
日本からそういう国へ視察に行っても、箱だけ見てきて、背景にある精神的なものを見てこない。
システムだけではもうだめですよ。

◎僕は世界一幸せな写真家写真通じてマザーの活動伝え続ける

僕は去年、食道がんで手術して、食道を全部取っちゃったんです。
それでマザーが僕にお見舞いの手紙をくれて、えらく感激してる時に今度はマザーが死にかけて。
今度は僕が見舞いに行ったんです、正月に。それがマザーに会った最後でした。
国葬にも行きました。でも、まだインドには行き続けるつもりです。
マザーのような素晴らしい人にめぐり逢えて、僕は世界一幸せな写真家だと思ってます。
写真展を通じてマザーの精神をPRするのは僕の務め。
これからも続けていきますよ。