河島 英五さん シンガー・ソングライター

1998年05月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時46歳)

若い人たちの感性を形にしたい

高校時代にバンド『ホモ・サピエンス』結成。
1975年ファーストアルバムを発表、その中の『酒と泪と男と女』が大ヒットした。
同年、ソロ活動に入り、その後、インド、アフガニスタンなどを放浪し、アルバム『文明』3部作(1980年)を発表。代表曲に『野風増(のふうぞ)』『時代おくれ』など。
その他、NHK『ふたりっ子』(1996年)などドラマにも出演。

◎手づくりコンサートで魅力的な出会いへき地の校歌作ったことも

TVドラマ出演やエッセイの執筆など幅広い分野で活躍中の河島さん。
もちろん、ミュージシャンが彼の本分だが、仕事を選ぶ基本は“楽しんでできるかどうか”。
だから、「昔からあまり仕事でやっている、という意識はないですね」。
コンサートツアーでは北海道から沖縄の離島まで、およそミュージシャンなど来たこともないような土地にまで呼んでもらえれば出向く。
大都市の大きなコンサートホールなどよりも、村おこしの屋外コンサートや小さな施設でのイベントなどに魅力を感じるそうだ。
「大きな場所でやるものは、初めからいろんなことが計算されていますからね。
そういうステージより、素人の手づくりコンサートの方が、おもしろい。楽屋でお茶ひとつ出てこないこともありましたけど、そういう場合、僕ははっきりいうんです。
お茶は用意してくださいって。
それでかえって親しくなって、毎年訪れるようになると、2、3年後にはすごくスムーズに運営できるようになっていたりしますよ」。
変わったところでは、奈良県にある山奥の学校から頼まれて、校歌を作詞作曲したこともある。
「僕の作った歌が、ずーっと子どもたちに歌い継がれていくなんて、すてきじゃないですか」と目を輝かせる河島さん。
ヒットメーカーでありながら、あくまでミュージシャン、詩人なのである。

◎生き方に一切干渉しなかった亡き父今度は自分が育てる立場に

もちろん、家に帰れば3人の子どもの良き父であり、夫でもある。
「家ではほとんど飲まないですね。
コンサートツアーではみんなと一緒にお座敷を借り切ってワイワイやるのが好き。
ひとりきりでバーのカウンターでしんみり、なんていうのはほとんどありません」。
お酒に関しては、ヒット曲『酒と泪と男と女』に代表される歌のイメージとご本人とでは開きがあるようだ。
ツアーがない日の夜には、よく家の周囲をジョギングする。
15歳になる息子の翔馬君も一緒に走ることもあるそうだ。
「周囲が山なので回りの木々をぼーっと眺めたり、家にいる時はなるべくのんびりしています」。
そんな河島さんが、今は亡きお父さんのことを語る時、なんともいえない優しい表情になる。
「僕がミュージシャンになると決めておやじに話してから、半年間は毎日のように議論しましたね。
そして最後に、親父の方から“おまえももう立派な大人や。
そこまで考えているのなら好きなようにやれ。
俺は今後一切、お前のやることに口出ししない”といってきたんです」。
そして本当にそれ以後、ひと言も干渉せず、夢をかなえてミュージシャンになった河島さんを見守り続け、1996年、がんで亡くなった。
奇しくも、ちょうどその頃、若い人たちがミュージシャンになりたいといって河島さんを訪ねてくるようになる。
父に見守られてミュージシャンになった河島さんが、この頃から「今度は僕が若い人を育てる立場になるんだなあ」と意識し始めるようになった。

◎場と技術を惜しみなく提供自分だけの言葉で歌を作れ

それ以後、河島さんは徐々に若手の育成に打ち込んでいく。
現在、大阪市内に2軒の飲食店を経営しているが、そのどちらもが若手育成の“河島学校のようなもの”だという。
特に、そのひとつである『ビーハウス』はライブハウスであり、店で働きながら河島さんに学ぶミュージシャンの卵たちが集っている。
「僕の年になると、もう感性では若い人にかなわない。
じゃあ僕が今までに培ってきた技術を伝え、若い人の感性を形にするプロデューサーになろうと。
その中で僕自身もまた新しいエネルギーやインスピレーションをもらえますからね」。
お金に余裕のないミュージシャンの卵たちのために、楽器も十分揃えた。
ギターの弾き方ひとつ取っても、河島さんがちょっとアドバイスしただけで、もう1週間後には弾き方が変わる。
ひとりで何年もかかって身に着けた技術を、惜しみなく若者に教え伝える河島さんである。
その中でも特に伝えたいことは、長年河島さんがこだわってきた“言葉”だ。
「若い子がたくさん僕のところへやってきて、僕の作った歌を聴いてくれ、という。
でもね、“僕は君を愛してる、愛してる”なんて歌が、本当に君の歌なのか、といってあげるんです。
歌のメロディはどんなに工夫しても、必ずどこかほかの曲に似たものになります。
世界中どこを探しても聞いたことのないオリジナルメロディなんてあり得ない。
じゃあ、歌をオリジナルにするのは何か。
言葉です。その人にしか作れない言葉。
それと曲とがうまくマッチした時に、その人の歌になる」。
混沌とした現代を生きる若者が、どのように自分たちの思いを表現してくれるか。
河島学校を巣立っていく卵たちの将来が楽しみである。

※なお、この取材は、河島さんが経営するライブレストラン『ほうぜんじ』(大阪市)にて行った。
店内の壁には河島さんの手書きの絵が書かれ、入口には河島さんのライブの案内も貼ってあった。