広岡 達朗さん 野球評論家

1998年07月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時66歳)

日本球界の活性化に夢かける

巨人現役時代は、退団までの13年間を遊撃手として活躍した。
引退後は、広島、ヤクルトのコーチを経て、ヤクルト、西武の監督を歴任する。
両チームとも日本一を達成させた敏腕監督として知られる。
米国野球に学び、日本の球界初のゼネラルマネージャーとしてロッテで活躍したが、夢半ばで退任。
しかし、広岡氏の舌鋒はいまだに鋭い。野球を愛するがゆえの野心に燃えている。

◎酒・タバコ禁止は当然プロに必須の自己管理

広島、ヤクルトのコーチを経て、昭和51年ヤクルトの監督に就任し、わずか2年後に日本一を獲得する。
昭和56年〜60年までは西武の監督として敏腕を奮い、V2達成とリーグ優勝を果たす。
広岡達朗氏の指導力に、当時の野球ファンは熱い視線を送った。
広岡氏が日本の球界初のゼネラルマネージャーとしてロッテで活躍したのは平成7年のことだ。
スポーツ紙は、広岡氏を融通の利かない堅物と揶揄したり、酒・タバコを禁じる“管理野球”に反発する選手との確執をおもしろおかしく取り上げた。
「シーズン中といえば、仕事中です。
ただでさえ疲れる時期に酒飲んで当たり前、弱くて当たり前というスポーツ界がおかしかった。
川上さんの時も、初めてスケジュールができたことで管理野球といわれた。原則を守っただけですよ」。
広岡氏が巨人軍の現役選手だった頃は、キャンプ中やシーズン中に酒・タバコ禁止は当たり前だった。
しかし現代っ子気質の若手選手には、“厳しい自己管理はプロの責任”という考え方は精神論の押しつけに映ったようだ。
広岡氏は、現役引退後すぐに渡米し、4カ月間米国の野球を学んだ。
日本の球界の体質とはまったく異なる徹底したデータ検証主義が、着実にチーム全体のレベルを向上させ、アメリカ野球の強さを支えていた。
そのキーマンが、チーム全体を管理するゼネラルマネージャー(GM)の存在だった。
GM制によって、日本の球界を根本から変えたい、広岡氏の野球を愛するがゆえの野心は、平成8年のロッテ退任で第一幕を閉じた。

◎生命力ある旬の食べ物で血液を浄化して健康維持

広岡氏が実践する健康理論はじつに明快だ。
“健康は血液から”という考えで、きれいな血液で作った細胞によって健康体になる。
血液の浄化には、血液を弱アルカリ性にする食品と睡眠が基本だ。食事は旬のものを食べる。
旬の食品がもつ自然の活力を取り入れるためだ。「季節外のものを喜ぶなんてアホです」。
「僕が提唱していた頃はセンセーショナルにいわれたけど、今やっと添加物のない食品が注目され始めている。
遅れているんですよ。
宇宙原則によって生かされている地球を考える時、その地球のルールの中で生かされている人間は、自然の法則に逆らっちゃいけないということです」。
食品は、部分食ではなく全体を食べる。
魚なら、大きな魚の切り身を食べるのではなく、一尾まるごと食べられる小魚を食べる。
米なら、米全体を食べる玄米がいい。自分でも農家から玄米を直送してもらっている。
玄米の良さは、水をかければ芽を出す生命力の強さだ。
生命力のあるものは、それ自身でバランスがとれているためだという。
日本のカロリー計算中心の栄養学は「基本を教えていない」と批判する。
日本の球界は、野球よりも食事の基本から学ぶ必要がありそうだ。

◎“習慣は第二の天性”が座右の銘GM制の普及で野球人育てたい

監督時代を通じて“待ちの指導”の重要性を悟った。
「性急に判断してはだめ。誰でも能力を持っている。
人を信じて、能力が開花するのを待つ。
監督やコーチはその能力のたない」。
OB会はボランティアでアマチュアに野球を教えるべきだという。
しかし、金儲けができなくなると反発するOBもいる。「何十万円も取って教えても、すぐにうまくなるわけじゃない。
野球界にお世話になった恩返しは、底辺のレベルを上げることです」。
12球団全部がGM制を導入すれば、コーチも監督も選手も育ち、OBも活用でき、球界は活性化する、という広岡氏の持論は揺るぎない。
そのゼネラルマネージャーの創出を促すには、優秀な選手を育成する土壌を耕しながら、OBの意識も変える必要がある。
監督業に興味はない。“日本の野球を変えなければ”という信念があるのみだ。