藤子 不二雄(A)さん 漫画家

1998年12月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時64歳)

日本食で並はずれた体力を維持

藤子不二雄(A)(本名・安孫子素雄)氏は、小学5年の時に出会った藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)氏とふたりでひとりのペンネーム『藤子不二雄』としてデビュー。
昭和39年に少年サンデーで連載を開始した『オバケのQ太郎』が大ヒットし、児童漫画の代名詞となる。
62年末にコンビを解消し、それぞれに活動を展開。
現在も精力的に描き続ける藤子A氏の活力の源を聞いた。

◎個性ある作品が子どもから大人まで幅広い読者にアピール

漫画家・藤子不二雄が2人組だったことは、すでに知られている通り。
『オバケのQ太郎』(合作)を代表とする明るく憎めないキャラクターが、藤子漫画を児童漫画の代名詞にした。
昭和62年末にコンビを解消。
日常をモチーフとした空想的作品を得意とし、可愛いながらもちょっと不気味なムードが漂う『怪物くん』の異形のキャラクター、魔力でいじめの仕返しをする『魔太郎がくる』は異彩を放つ作品だ。
『プロゴルファー猿』『笑うせぇるすまん』ではサラリーマン読者を獲得。
このほか、『少年時代』(映画『少年時代』を製作し、日本アカデミー賞ほか数多くの賞を受賞)、トキワ荘の仲間たちとの出会いや青春を描き続けている『まんが道』と『愛…しりそめし頃に…』。
そして忍者を日常生活に愉快に活躍させた『忍者ハットリくん』などがあり、50代まで幅広い読者層を持つ。漫画の世界は非常にシビアで、著名な漫画家であろうと作品が面白くなければ生き残れない。
その分、やりがいのある世界。
同時に、非常に体力のいる仕事でもある。
若い頃は、何本も連載をかけ持ちし、徹夜に次ぐ徹夜で書き続けた。
書くことが面白いから、書き続けることでエネルギーが湧いてきた。
近頃は仕事で徹夜をすることはないが、体力は変わらないとか。

◎風邪もひかない健康の秘訣は肉や魚を使わない愛妻弁当

並はずれた体力の持ち主だという。
「不思議な身体を持っていまして、今まで歯医者に行ったぐらいで医者にかかったことがない。
風邪をひいたことが一度もないんです」。
特に健康法などはしていない。
「生活的にも精神的にも節制はしない。
コントロールするのがキライなんです。
僕にとって健康のためにいろいろ考えて制限すること自体がストレスになります」。
その秘訣は生い立ちにあるらしい。
A氏は富山県の650年続いた古い寺の生まれ。父は49代目の住職だった。
子どもの頃から現在に至るまで、食事はいわゆる田舎料理で、魚と肉はほとんど食べない。
睡眠時間も3〜4時間寝れば体力が回復する。
瞬発力はないが持続力があり、長時間お酒を飲んでも、仕事をしていても苦にならないという。
二日酔いは30年間経験していない。健康そのものだ。
「ドックに入ったんですが、医者が“何もなさすぎておかしい”という。
唯一“コレステロールが少なすぎる”といわれたくらい」。
A氏によれば「最近のいろいろな病気は、肉を多く食べることが原因じゃないか。
同じ動物が動物を食うことが違和反応を起こすんじゃないかと思う」。
そんな考えも、和代夫人が10年前に脳内出血で倒れ、半身不随、失語症となったことと関係している。
毎日仕事場に和代夫人の弁当を持参していたA氏だったが、夫人が倒れてからは、2人で必死でリハビリを続けた。
夫人の弁当なくしては文字どおり生きていけないA氏のために、という使命感も手伝って、和代夫人は再び弁当を作れるまでに回復。
A氏は感謝の意を込めて、夫人の弁当を毎日写真に撮り続け、その数は数百枚に及ぶ。
最近ではイラストで描いたりもしている。
ちなみに、今日の弁当はタケノコの味噌煮とおでん。

◎妻の失語症もリハビリで克服発想の転換で日常を楽しむ

ところで、失語症は脳の損傷個所によって、症状もさまざまだ。
和代夫人の場合はひらがなやカタカナが出てこないが、漢字だけは書けるというものだった。
筆談も、始めのうちは判じ物のような漢字の組み合わせで、医者や看護婦にはわからないが、A氏だけはわかった。
「筆談しても漢語で会話するようなものだったけど、和代氏は造語をするから面白い」と、どこか楽しんでいた風だ。
これは、A氏の作品にも通じる発想の転換である。
A氏は、仕事場に向かう小田急線の駅まで歩く時、気分によって道を変える。
徒歩15分の間の新しい発見、知らない人との出会いが漫画のネタになる。
車中での40分間は、乗客ひとりを決めて観察し、その人の人生を想像する。
一見いつもと変わらない平凡な日常生活の中に、自分の考え方次第でいろいろな生き方が見出せる。漫画家としての前向きな考え方だ。
作家活動にはまだまだ意欲的なA氏だが、「いつか節目が来たら、妻に恩返しをしたい」と語った。