中村 紘子さん ピアニスト

1999年01月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時54歳)

寿命100歳といわれるほど健康には自信あり

ピアニストとして世界で高い評価を受け、文才もまた卓抜している。
世界的なコンクールを通して現代を描いた文明批評『チャイコフスキー・コンクール』で第20回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
『ピアニストという蛮族がいる』は文藝春秋読者賞を受賞。
その国際的な活動に対し、昨年4月、外務大臣表彰が贈られた。

◎陰の努力は微塵も見せない華麗で過酷な職業ピアニスト

ピアニストとして知られる中村紘子さんは、国内では年間80回ほど、欧米など世界各地でも多数の演奏会をこなしている。
中村さんには若干失礼な表現かもしれないが、クラシック音楽に疎い大方の日本人にとって、彼女の才能に触れる機会は、彼女が登場するわずか数十秒間のテレビコマーシャルだけという人も珍しくないだろう。
しかし、それはいかにももったいない話だ。
輝かしい経歴に包まれた彼女の軌跡を知るほど、それは確信に満ちてくるに違いない。
3歳からピアノを始め、15歳で東京フィルハーモニー楽団の定期演奏会でデビュー。
音楽の名門校ジュリアード音楽院を卒業。20歳でショパン国際ピアノコンクール4位入賞。
現在も世界を舞台に演奏活動を続けるかたわら、チャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールなどの数々の国際的ピアノコンクールの審査員を務める。
ところで、ピアニストという職業を、その優美なイメージから身体的にも楽な仕事と思うのは大きな間違いだ。
華やかな笑顔で演奏を終えたピアニストたちは、椅子に座っていたにもかかわらず、皆一様に全身に大汗をかいている。
予想以上に筋力を使う肉体労働なのだ。
しかも、シンと静まり返った舞台の上にたったひとり、観客の視線を全身に浴びながら、孤独と緊張感の中で自分をベストの状態に引き上げ、最高の演奏をしなければならない。
ごまかしは利かない。
手を抜けば耳の肥えた観客はすぐに見抜いてしまうからだ。精神的にもきつい職業といえる。
そのうえ、常に第一線でいることは、よほど自分に厳しくなければ不可能だ。
舞台の上で常に自分という敵と勝負し続けるピアニストは、ある種スポーツ選手のような存在といえる。
優雅な演奏の陰に、数しれない努力があったことなど微塵も感じさせない高潔さ。
その強靭なエネルギーを想像してみるといい。
ピアニストという職業ががぜん違って見えてくるではないか。

◎「健康も才能のうち」が持論100歳まで生きられる自信あり

海外を飛行機で飛び回っていると、時差や水、食べ物の違いなどで体調を崩しやすい。
神経を使う仕事だけに、いかにベストコンディションを保つかが重要になってくる。
「ピアノを弾くというのは、なかなか大変なことなんですよ。リサイタルでは1時間半から2時間ほどのプログラムですけれど、そのために、1日に多い時には10時間もの激しい練習をしなければなりません。でも、ピアニストは指を動かしているせいか、長寿な人が多いんですね。私など日本人だし、100歳になってもまだ演奏会をしているんじゃない?なんていわれてしまいます」。
そう語る中村さんには、何か特別な健康の秘訣があるのだろうか。
「そうですね。健康法というのは特別にありませんが、時々、スポーツマッサージをやってもらうぐらいでしょうか。あとは、愛犬のウルちゃん(ダックスフンド・ミニチュアの雌)と散歩するのが一番のストレス解消ですね」。
中村さんはこう分析する。
「世の中で活躍している人たちは、基本的にまず健康に恵まれていらっしゃる方々が多いのではないでしょうか。例えばピアニストとして一流になるためには、ごく幼少の頃から猛練習に明け暮れるわけで、虚弱ではついていけません。それに、現代では一流になるためにはオールマイティであることを要求されるのですね。レパートリーも広く、旅から旅への生活でも大丈夫で。現代の演奏家というのは、トライアスロンの選手のように強靭でなければならないのです」。
技術だけでは一流とはいえないのである。

◎いくつになってもピアノが命老後よりも今を楽しく過ごしたい

中村さんは、物心ついた頃からピアノと生活をともにし、演奏旅行のため飛行機で世界を飛び回る多忙な生活を送っているが、目的地に着いてもご馳走や買い物より、まずはピアノが一番に気になるという。
「演奏会が控えている限り、パリだろうが東京だろうが同じこと。目的地に着くやいなや、練習に向かってしまいます。だから、観光グルメもいつも後回し。
練習が十分できるなら、あとはどうでもいいと思っているところがあるんですね」。
ご主人は小説家の庄司薫氏。
幸いに、ご夫婦揃っていたって健康だという。
「子どももいないことですし、“人間死ぬ時はひとりなのだから、なるようになれば”と、ちょっと楽天的なのでしょうか。
あまり老後について考えたことはありません。
ただ、あとはこうして何年一緒に暮らせるかわからないから、今を楽しく過ごそうと、そんな風に考えることはよくあります。
主人はね、“僕は80歳になっても受験生と暮らしているみたいな気分かなあ”なんていうんですよ。
私がいくつになっても猛練習に明け暮れていますから」「でも、人生の最後を人に迷惑だけはかけたくありませんね。もし、いろんな人にお世話になるような状況になるのなら、どこかに消えてしまいたい。動物のように」。
獅子座生まれの中村さんは、年老いたライオンが群を離れてひっそりと死を迎えるように、ピアニストらしく楽屋裏は見せずに美しく散るつもりなのかもしれない。