小林 完吾さん フリーアナウンサー

1999年04月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時67歳)

「リハビリは元気に生きる為の大事な選択」

テレビ局を定年で退職後、脳卒中で倒れ、少しでも痺れや麻痺、運動機能障害を改善しようとリハビリに励んでいる。
依頼の多い講演でも、自立性を保って自分らしい人生を生きていこうと訴え、委員をつとめている厚生省の脳卒中検討会でも、患者体験に基づきながらリハビリ医療を重視するよう理解を求めている。

◎元通り風の一念

日本テレビのアナウンサーを定年で退職後、講演で全国を飛び回る毎日となった。
4年後の64歳の時、講演先のお寺で脳出血のため倒れた。
考えてみれば通夜となっても葬式となってもおかしくない場所であった。
救急車で運ばれた病院での診断結果は、高血圧性視床出血であった。出血は内包にも及んでいた。
視床も内包も脳幹部に近いところにあり、感覚と、手足に運動を命令する指令塔の役割を担っている為、痺れや麻痺、運動障害という後遺症がのこった。
元通り風になる為には、一にも二にもリハビリと医師にいわれた通り、病院での理学療法士による専門的なリハビリばかりでなく、病室でも、ひたすら自主リハに励んだ。
入院は38日間だったが、退院した後も地元の病室に通ってリハビリを続け、自宅でも2時間近くの自主リハを欠かすことはなかった。
妻は妻で、塩分や脂肪分を控えた食事に気を配ってくれ、自分でも、酒を控え、早寝を守るなどして健康の維持に勤めた。
彼の持論は“如何なる病気にも克服はなし”であった。
が、元通り風だけにはなんとしてでもなりたい、その一念が彼をリハビリにかけさせた。
元通り風は、自分自身の尊厳ある人生の為にも、家族に負担を掛けない為にも、今迄通りに仕事を続けていく為にも欠かす事のできない条件であったという。

◎年寄りには広い家は不要、無駄、バリアのないマンション派

講演のテーマは、福祉、教育、高齢化社会問題、医療と多岐にわたる。
「やっと会社勤めから開放されたとおもっていたら、逆に北は北海道、南は沖縄迄を飛び回る身となり、定年前に思い描いていたスケジュールの全くない気儘に生きる生活とは程遠くなってしまった」だが、これはまさに思っても見なかった嬉しい誤算でもあった。
一時、生真面目さが笑いを招く“おもしろまじめ”人間としても、お茶の間の人気を集めたことがあったが、「あれはあくまでも虚像です」とご本人は、一笑に付す。
又、穏やかな外見からは考えられない手厳しい日本人批判も次々と飛び出しびっくりさせられる。
その国の言葉や、歴史、生活習慣も深く理解することもせず、老後は、住宅は安く、自然環境にも恵まれた海外でなどと、安易に海外移住を計画する気持ちなどまったく判らない。
若し、病気にでもなったらその時はどうする積もりなのだろう。
そう考えるだけに不自由な身に鞭打って迄海外旅行を老後の楽しみにしようという願望すらサラサラない。
生きるという事は、死ぬ事と考えれば、その“生”を悔いなくどう生きるかで精一杯と、老後観も厳しい。
「老いは夫婦のうえに共に訪れるもの、特に、私の場合は妻もリウマチで手足の関節が痛んで大変…だから、住空間は、無駄のない効率的な広さ、バリアのないことが第一、それに、保温・保冷と言う面からいってもマンションが最適。
体力に見合ったコンパクトな空間こそ夫婦だけで支え合って生きていくに相応しい住まいと思っています。
それに、元々、二人とも一戸建て嗜好がなかったものですから…」と住環境についても合理的、家にステイタスを求める発想は非現実的とも指摘する。
特養ホームからグループホームに流れを変えたスウェーデンの高齢者対策など、話には説得力がある。
鎌倉生まれで鎌倉育ち、両親も東京生まれの東京育ち、そんな小林さんが、それまでの茅ヶ崎住まいから現在の埼玉住まいになって二十年、当時、同僚からは“えっ、埼玉?”と冷やかされもしたが、地方を小馬鹿にしたがるのは東京至上主義の地方出身者の下らぬ見栄と言い捨てる姿勢に知性を感じさせられる。

◎要介護老人を作らないためにリハビリ重視の施策こそが重要

小林さんは、「高齢化率が高いということは、長寿者が多いということで結構なことだ」と言い添えるようにしているという。
国や行政が示す数字は、ややもするとそりゃ大変!厄介な時代がやってきた、という気持ちのみを煽り立て、厄介な事から目をそむけさせ、その厄介なことをするのは国や行政の仕事という市民意識を培ってしまったように思えてならない。
三人の労働人口が一人の年寄りを養わなければならない時代が目の前にせまっているという言い方も間違いだ。
何も他所の年寄りを養う問題ではない、年老いた自分の親の問題なのである。
自分を生み、育ててくれた親を国や行政が看るのは当然というのであれば論外、それは単に親不孝者というだけの話でしかない。
ジャーナリズムもその風潮に拍車をかけているように思えてならない。
この財源難の折り、全ての年老いた親の面倒を国や行政が看られる筈がない。先ず、家族がどんな苦労をしてでも看る。
その上で、それを続けるに当たってどのようなサポートが必要かを考えるのが国や行政、と毅然と説くのがジャーナリズムの役割だと考える。
「厚生省のゴールドプランにも問題がある。
特養ホームの増設や、ヘルパーの増員、などの施策を掲げるのは結構だが、あたかも全て引き受けますとばかりの印象を与え“福祉”を口実にやるべきことを避けて通ろうとする親不孝者を増やしている事にも意を払うべきであろう」小林さんは、脳出血の後遺症を持つ患者の一人として、厚生省の脳卒中検討会の委員をつとめている。
病気になっても自立性を高め、少しでも人手を掛けずに生きていく為には、予防や治療に加えてリハビリテーションにもっともっと力を入れる事が何よりも必要、又、リハビリによって寝たきり老人を作らないことが、本人自身の人生の完結期の日々に幸せをもたらすばかりでなく、ますます進む高齢化社会への対応コストを低く押さえる事にもなると発言を繰り返しているが、診療報酬の問題、現行の保険制度の問題などを理由にした委員の反論などもあって理解を得るのに苦戦を強いられているという。
だが、小林さん自身リハビリに励みながら、検討会や講演活動を通して、高齢化社会のあり方を訴え続けていくつもりだと熱っぽく話し続けるのであった。