『起承転転』という生き方が21世紀の社会を拓く!
東京都庁OBの作家として知られる童門さんは、本名・太田久行。
17歳で予科練を志願し特攻隊員となるが、やがて終戦。生きることの意味を失い漂白する太田青年が闇市で手にしたのが、太宰治の『斜陽』だった。
そして、小説の中に自らの心の叫びを見いだし、“太宰治というメフィストフェレス(悪魔)”にすっかり魂を魅了される。
童門というペンネームの由来については諸説あるが、この太宰の持つデ−モン性との出会いによるのが真相だ。
◎都庁のお役人から小説家へ。行政の場で果たせなかった思いをペンに込める
何代も続いた、ちゃきちゃきの江戸っ子だそうだ。
ポンポンと歯切れのよい喋りに、時折べらんめぇ口調が混じる。
戦後、目黒区役所を経て都庁へ移り、美濃部都知事の下で企画調整局長、政策室長などを歴任した。
在職中から同人誌を中心に小説を書き、60年に『暗い川が手を叩く』で第43回芥川賞候補に。
79年に退職後は作家生活に専念し、現在までに世に出した著作は、実に300冊にも及ぶ。
「芥川賞の候補になった作品ですが、ぼくは福祉の至らなさということを小説にしたわけですよ、怒りを込めて。いつもそういう思いは頭の中にあった。だけど行政というのは後追いです。先取りは絶対しません。そして後追いを法律化していくから、さらに遅れる。それを前に出すためには、現実のぼくは法を重んじなければいけないから、行政の場にいたんでは無理なんですよ。で、現実では無理なことを実現できる分野というと、小説の方になっちゃうわけ」。
79年に、都の赤字財政は企画調整室長である自分にも責任ありとして、都知事退陣とともに潔く退職。
50歳だった。だが、公務員から作家への転職は甘くはなかった。
「5、6年は何も食えなくて、十二指腸潰瘍を患うほどどうしようかと悩んだ。
まだ年金をもらえる年じゃないし、お待ちしてましたという出版社はどこもないし」。
その後は順調に『小説上杉鷹山』『小説 二宮金次郎』『異説新撰組』など、殊に歴史小説の分野で優れた作品を次々と生み出している童門さんだが、書くうえでのテ−マとなっているのは、「地方分権、それと差別とその絶滅のふたつ。だから題材でも、上杉鷹山のような人が多いですね」。
上杉治憲(鷹山)は18世紀後半に生きた、当時としては驚くほど近代的精神を持った米沢藩主で、貧窮に喘ぐ藩の藩政改革と財政再建に成功を収めた人物である。
童門さんは作品の中で、「…治憲は、藩政改革の目的は、『領民を富ませるためである』と明言し、その方法展開を、『愛と信頼』でおこなおうとした。
幕府や各藩の改革をみていて、それが必ずしも成功しないのは、この二つが欠けているからだ、と治憲は思っていた」と書いている。
「鷹山を書いた動機は、美濃部都政の評価と反省。それから組織論として、ぼくが補佐役の時あんなことをさせてまずかったな、ああいうことをするべきだったなと、そういうものを中に散らしたんですね」。
鷹山は老人や病人、子供、妊婦など弱者の立場にある人々を重視し、待遇を厚くした。また正妻である幸姫は生まれながらに心身に障害を負っていたが、彼は妻を天女と呼んで心から愛し、その同じ愛を藩全体にも注いだのだ。
翻って現代の日本の社会を見る時、200年前に試みられたこの改革を超えたと、はたして私たちは胸を張っていえるだろうか。
◎悠々自適ではなく「誰かのためになっているか」と自問しつつ生きる気概を
今は世を挙げて高齢社会だ、介護保険だと声高に騒がれている。
だが一方で、少子化をはじめ若者が夢や希望を抱きにくい社会を作ったのはわれわれの世代の責任でもあるのだよ、と童門さんは手厳しい。
「だから大人は悠々自適なんていってねえでさ、真剣に考えなきゃあ。加担者だったんだから、こんな悪い世の中作るうえで。それには『起承転結』という考えを持ってちゃ駄目だな。『結』なんかないんですよ。『起承転転』。最後まで自分を転がして、100%命を燃焼させてね、生涯学習をすべきです。生涯学習っていってもゲ−トボ−ルをすることではない。自己満足でなく、どれだけ誰かのためになるかということ。つまり、自分の発見した生きがいや喜びを分かち合うことですよ。そうした物差しをあててもらいたいな」。
その起承転転で日々生きている童門さんには、これでいいという限界はない。
「始終ピーピング・トムで好奇心旺盛。新聞は全紙に目を通し、テレビのニュ−スも必ず見る。情報誌も『ぴあ』や『Hanako』に至るまで山ほど買います」。
さらには、白土三平の長編時代劇画『カムイ伝』を全巻所有しているという意外な一面も。
「実はぼくの座右の銘があるんだよ。いつも胸のポケットにしまっている…」と、童門さんは少しはにかんだ口調で語ってくれた。
それはスターリン体制に抗して『25時』という小説を書いたルーマニアのコンスタンチン・ゲオルギュの言葉、「たとえ世界の終末があしたであろうとも、わたしはきょうリンゴの木を植える」。
そう、それですよ。
スパンをもう少し長く取って、自己人生の設計をしてもらいたいな…と、つぶやく。
「みんな目の前の木ばっかりなんだ。もっと遠くへ森を作ることを考えないとね」。
生きることはつらいけれどリンゴの木を植える努力は失わないよ、というゲオルギュの言葉がルーマニアの人々に大きな励ましを与えたように、愛に満ちた温かなまなざしで描かれる童門さんの小説の登場人物たちもまた、時代の閉塞性に風穴を開け新しい可能性を生み出すための、その一歩の勇気を、私たちに指し示してくれているのである。