原田 大二郎さん 俳優

2000年07月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時56歳)

好奇心旺盛、直木賞も狙いたい!

いくつになっても青春を背負っているような役者、熱く語る言葉は次々にあふれてとまらない原田大二郎さんだが、身体の弱いご子息・虎太郎さんと歩んで来られた“一生懸命な父親”でもある。
奥様との共著『いじめなんかじゃ、くたばるもんか!』は病弱な虎太郎さんをかばいつつ、育ててきた戦闘記でもある。
役者を志したのは20歳の時。明治大学卒業後、文学座養成所を経て舞台、映画、テレビとその独特のキャラクターで活躍。最近は講演や『山と渓谷』社などの雑誌に紀行文などを寄稿したりしている。

◎虚構の中の真実に芝居の快感覚える

「ぼくぐらいテレビが好きな子どもはいなかったと思うよ。
12歳の時にテレビが家に入ってきて、それからは毎日見てたな。飽きなかったね」。
好奇心の強さはテレビがもたらしたという。
演じることに出会ったのは、「大学2年の時、英語劇を演った。
稽古、稽古の6カ月。
ガッチガッチに集中して、その先でフッと開放された時、虚構の中から生まれてくる真実の強さに打たれ、芝居の快感を知ってしまったんだ」。
その時主役を演じたのは奥様の規梭子さんだった。
「20歳のあの時以来、僕の生きる道はこれだと役者をやってきた。道草をくいながらね。もし、あのテンションのままなら今ごろは世界の名優かな」と豪快に笑う。
ブラウン管の中と同様に、片時も沈黙せず、終始熱く温かい人である。
その“熱さ”の源とは、と尋ねると「故郷、山口だと思うよ。故郷の太陽を浴びて育ったという思いが強いんだ」。
話しながらペンを取りだし地図を書きはじめる。
「松山からフェリーで来るとこの柳井港の夕陽がきれいでね。ほら、その隣の半島、この佐賀っていう漁村で育った。今は平生町。毎日、海に出かけたよ」。
徳山、防府、宇部、下関と瀬戸内の町の名が次々に記される。
「紀行文、書いているからね。山と渓谷社の瀬戸内ブックに『山頭火』、原稿用紙38枚だよ。
あの人は防府出身なんだ。
この前は『高杉晋作・維新を歩く』も書いた。
これは大作、100枚の書き下ろしになっちゃった」と、一層熱っぽく語る。
「“熱い”っていうのは、スマートには見えない。みんな斜に構えて冷めてても日本は平和だし、なんとか生きていける。でもね、モノをつくり、それを動かすエネルギーは熱くないと生まれない。10年、熱く生きてきたヤツとそうでないのとは、絶対大きな差ができるよね」。

◎一番の負担は両親の“期待”

「ここまで期待しちゃいけないっていうのは、わかっているつもりなんだけど、あれもこれも、いった方がこの子のためになるって思うのが、親の勝手なんだよね。
コタ(虎太郎さん)は学校でのいじめにもよく耐えたけど、一番の負担は親の期待だったかもしれない」。
虎太郎さんは生まれて3歳まで流動食しか食べられず、大二郎さんと規梭子夫人は毎日が「ここまで生きてくれた。
次は幼稚園、せめて小学校ぐらいまでは」の繰り返しだったという。
虎太郎さんが10歳になるまで、規梭子夫人は仕事を休み子育てに専念した。
現在、東洋女子短期大学教授として教鞭をとられているが、仕事を再開される時期と同じくして、虎太郎さんは中学校でいじめに遭う。
「94年に愛知県西尾市で、いじめが原因の自殺事件があった時、コタがポツリと“ぼくも死にたかったんだ”といった。いじめに遭った当時、すぐに学校にも駆けつけたりして解決したと思っていたんだけど、本人の中では重いんだなと…。コタは幼児期、消化器系統が弱くて何度か手術を受けた。泣き叫んでもメスは入ってくる。人生には頑張ってもどうしようもないことがあるっていうトラウマみたいなものができたんだろうな。それでも親は、もっともっと頑張らせなくちゃあって。あるがままを受け入れてあげればよかったのかなぁ」。
そう気づいたのは“いじめ”問題について講演を依頼され当時を客観的に振り返った、つい最近のことだという。
「コタの時は、蹴られたりノートにいたずら書きされたり、古典的ないじめだったけど、今は全員でシカト(無視)するような陰湿ないじめになっている。他者とかかわらないコンピュータゲームのせいかな。テレビからの情報処理の仕方をもっと低学年教育からやらなきゃいけない」。

◎人間が完成するのは60歳

故郷山口で元気に暮らされているお母様に思いをはせながら、大二郎さんはさらに熱く「介護されるっていうのは権利なんだよ。“介護保険の1割自己負担とは、どういうことだ!”って、もっと怒っていい」。
自身の老後に関しては「介護を受ける時には安心して任せられる国であってほしいなぁ。
役者はね、60歳で一皮むけるようなところがある。
名優と呼ばれる諸先輩方はみんな60を過ぎると芝居が変わった。
見せたがるところがなくなって、その人自身の存在の中に沈み込むというか、魂がむき出しになってくる。
やっと一人前になるんだね。
ボクもあと4年。楽しみだね」。
身を乗り出して「60でキラキラ輝いて、いい芝居ができるようになりたいよね。
ぼくはね、作家にもなりたいんだよ。これまでだれも書かなかったような小説で、直木賞でもとりたいよね」。だれよりも好奇心旺盛。
熱くパワフルな大二郎さんが60歳を迎え、どう輝いていくのか、揺籃の中にあるというその小説とともに、大いに楽しみである。