宮城まり子さん ねむの木学園園長・歌手・女優

2000年08月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時72歳)

愛されること、教えたい

日本で初めての障害児のための養護施設を建設を決意した女優で人気歌手の宮城さんが、建設用地に決めた静岡県浜岡町の砂丘に近い小高い丘に行った時、そこには大きな“ねむの木”がやさしいピンク色の花を咲かせていた。
さまざまな障壁と闘いながら、夢に向かって挑み、今も果敢に施設建設を続けている宮城さんに、その半生を力強く支えた知られざる愛の軌跡を伺った。

◎人助けの意志を培った子ども時代その情熱が障害児への強い愛に結実

そぼ降る雨の中を訪れた『ねむの木村』は静かなたたずまいを見せ、新緑の中に連なる建物の白壁と淡いオレンジ色の屋根、そしてそこに描かれた鮮やかな色彩の壁画や敷き詰められたモザイク・タイルの絶妙なコントラストは、南欧の小村に迷い込んだかのような不思議な感動と雰囲気を匂わせる。
小型のステージのように整えられた部屋の中で、子どもたちがピアノの伴奏に合わせ真剣な表情で歌っている。
電動車いすに身を預けた“まり子先生”がつと前に出て、少し厳しい表情で、しかし大きく包み込むように指揮を取ると、その歌声は見違えるように軽やかで、艶やかなハーモニーを響かせる─。
昭和43年に日本で初めて障害児のための養護施設を、それも私財を投げ打ってまで設立してから30年あまり。
数々の試練を乗り越え、入所者主体の理想郷ともいえる学園村づくりに邁進する宮城さんの情熱を突き動かしているものとは一体何であるのか。
「私が12歳の時に母が亡くなりまして、10歳になる弟が泣いていたんです」と宮城さんは濃い疲労の影を振り払いながら、淡々とした口調で語る。
「それを見たのがきっかけで、悲しんだり苦しんで泣いている子にやさしくしてお手伝いをしようと、子ども心に思いまして…」。
それはまた、若くして逝った弟さんとの約束でもあったという。
このエピソードからもうかがえるように、幼い時から少女歌手として活躍していた宮城さんは、当時、街頭に多く見られらた靴みがきの子どもたちに対しても、自分が磨いてもらう立場にあるのがひどくつらく感じられるほど、心やさしく感受性の強い少女だった。

◎吉行氏との出逢いが夢を現実に変え限りない愛と勇気を与えてくれた

昭和30年に『ガード下のクツみがき』が大ヒット。
少年のように愛くるしくコミカルな扮装で歌う宮城さんを記憶されている方も多いだろう。
さらにミュージカル女優としても高い評価を受けたが、そんな時に知り合ったのが、芥川賞作家の吉行淳之介氏だった。
人には運命的な出逢いというものがある。
その日から40年近く、吉行氏と宮城さんの魂はひとつに溶け合い、固い絆で互いに結ばれ続ける。
一方、今日の『ねむの木学園』発足へのきっかけは、雑誌『婦人公論』の取材で知恵遅れの子を知ったことだった。
“どんな子どもにも学ぶ権利があり、義務がある”その強い信念は10年の後、浜岡町の砂丘のそばの小高い丘へと、宮城さんを導いた。
学園の存在を広く世に知らしめたのは、宮城さんの第一回監督作品『ねむの木の』(昭和49年上映)という園児たちの記録映画である。
この一連の映画によって、日本の児童福祉に大きな火が灯る契機になる。
そしてそんな宮城さんの本来の女優との掛け持ちのエネルギッシュな活躍の陰には、吉行氏という何にも増して力強い存在があった。
昭和54年、同氏はねむの木学園理事に就任する。現在の学園は掛川市に移転しているが、くしくも吉行氏が亡くなった平成6年にねむの木村第一期造成工事が行われた。
肢体不自由児療護施設『ねむの木学園』をはじめ、肢体不自由養護学校 『ねむの木養護学校』、身体障害者療護施設『ねむの木のどかな家』、『ねむの木こども美術館』などと並んで、中村昌生氏設計の瀟洒な『吉行淳之介文学館』が、ふたりの永遠の愛の証しをとどめつつ、静かに木立ちの中に建っている。
「彼から最初の手紙をもらったのは、私が33歳の時。さすがに作家ですから、ラブレターの文章も品がよかったですね」と当時を語る宮城さんは、少女のような無垢な微笑を浮かべた。
「彼に逝かれて、泣いてばかりいました。でも事業はやめない、やりたいといったの。なぜなら、吉行が生前こう私にいったからです。“ひとつ、グチをいわないこと。ふたつ、お金がないといわないこと。三つ、やめないこと”。この三つを約束したから、だから私、もうやめられないんです」。
もしも掛川市の近くを通ることがあれば、ぜひ花畑に囲まれた『ねむの木村』の白壁と宮城さんや子どもたちの笑顔を思い浮かべてほしい。
宮城さんが築いた理想郷に出会うことができるだろう。
「愛されること、教えたい。/あなたを愛しているのよ。/愛しているのよ。/愛されること、教えたい。/そうしたら、愛することおぼえるから。」(宮城まり子著『またあしたから』より)