森下 洋子さん バレリーナ

2000年11月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時52歳)

エンドレスな毎日こそ大切

日本人バレリーナといえば、即座に『森下洋子』という名前が挙がるように、森下さんはそれまであまりなじみのなかったバレエを見事に日本に定着させ、たちまちのうちにバレエ人口を急増させた。
その素晴らしい踊りは世界的なプリマとしての名声を常に誇っている。
3歳からバレエを始めた森下さんが踊りに賭ける情熱や日々のレッスンの大切さ、天才ヌレエフとの思い出などを語っていただいた。

◎バレエへの飽くなき情熱が世界のプリマへと押し上げた

まぶしく輝くような新しい白壁のレッスン・ルームに、水色のスーツに身を包んだ森下さんが静かに現われた。ハッとするほど小柄である。
「身長は150cmです。世界で一番小さなプリマ(主役のバレリーナ)でしょうね」と微笑む。
しかし小柄でも均整がとれ鍛えぬかれたその肢体は、首から手足、指先に至るまでしなやかに長く細く、彼女の存在自体がひとつの芸術作品のように感じられた。
「子どもの頃病弱だったので、お医者さんの勧めで真向かいにある幼稚園の葉室潔先生のバレエ教室に通い始めたのが、バレエとの初めての出逢いだったんです」。
以来、森下さんとバレエとの運命的なつながりは、来年で50年目を迎える。
「年齢を経るごとに舞台の出演回数が、逆に増えてくるんですよ。もちろん4、5時間のレッスンは毎日欠かしません。3歳から始めて今日まで、辞めたいと思ったことは一度もありません。それは周囲の人たちの助けがあってこそだと思います」。
中学から高校卒業までの間、橘バレエ学校で寄宿生活を送り、バレエ以外にも料理から礼儀作法までの厳しい訓練のおかげで、森下さんは人間の生き方の根本を教わり、精神的な強さを培った。
昭和46年に松山バレエ団に入団。昭和49年にブルガリアのバルナ国際バレエ・コンクールで金賞を受賞。
実生活のパートナーでもある清水哲太郎氏も銅賞に輝いた。そしてこの受賞がきっかけで、日本のバレエが広く世界に認められるようになったのである。

◎天才ヌレエフやマーゴとの運命的な出逢い

人と人の出逢いには、何か神秘的な、奇跡とも呼べる力が作用する場合がある。
バレエとは無縁の家庭から当時としてはやや特殊な世界に入り、地味なレッスンが大好きでたまらなかった15歳の時、世界的なプリマ、マーゴ・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフの2人が来日して松山バレエ団でレッスンを行ったのだ。
13年後、その天才舞踏家、ヌレエフと踊ることになろうとは、まだバレリーナの卵のひとりである森下さんには想像もつかなかったに違いない。
「彼とは昭和51年にワシントンで『海賊』を初めて踊り、翌年のエリザベス女王戴冠25周年記念公演で『ドン・キホーテ』を踊りました。ひとりの日本人バレリーナがヌレエフと踊るということで、大きな話題になりましたわ。彼とは相性が合うのか、その後も『白鳥の湖』『ジゼル』『眠れる森の美女』など世界各地で踊りました。マーゴが引退した後は、さらに共演の機会が増えましたね。ヌレエフは記憶力が大変良くて音感にも優れ、純粋にバレエを愛していました。だれよりも努力を惜しまず、やさしく安心して踊れるパートナーでもありました。そしてマーゴは私にとって最高のお手本でした。彼女から学んだことは私の大切な宝物です」。

◎いつもエンドレス毎回の舞台を大切に演じるだけ

東京・南青山にある松山バレエ団の本部だけでも400人以上の生徒が学んでいるという。
年齢は3歳から60歳を過ぎた方までと、バラエティ豊か。
「シニア・クラスがあって、皆さん楽しんでお稽古してるんですよ。逆にご主人方のほうが熱心で、発表会では花束を抱えて応援にかけつけています」と明るく語る森下さんは、バレエ愛好者の層が年々厚くなっていくことに喜びを感じているようだ。
日本の男性舞踏手も急増している。
テレビCMの影響で女性ファンが増え、新しいバレエ・ブームが到来しつつある。
夫君の哲太郎氏は踊りはもちろん、演出振付を担当しており、「私たちは、夫婦というより戦友なんです」と森下さんは微笑む。
「私は、振り付けはしません。もともと不器用なんですね。無のものからは創れないけれど、与えられたものは膨らませる。もっともっと教えてもらいたいと、いつもアクティブで貪欲なんです」。
今後の目標を尋ねると、森下さんはクスッと小さく笑ってから、「いつも取材でそう聞かれるんですが、私は目標よりも毎回の舞台を大切に、そして丁寧に踊っていくだけ。
マーゴは60歳を過ぎても毎日のレッスンを欠かしませんでした。
年齢は関係ありません。エンドレスです。
今と同じく舞台をさらに深めていきたいし、特にお年寄りや障害者の方に観てほしいんです。
またこの業界を世間で立派に通用していくものにすることがこれからの仕事で、自ら作り上げることを目標にしています」と答えてくれた。
「どの作品もすべて好きですが、今年回数を重ねてさらに深めることのできた新『白鳥の湖』は、ヒロインの純粋さや悪に向かう強さ、希望に生きる面に特に惹かれます。同様にお年寄りにも、もっとアクティブに生きていただきたいと思いますね」。