大村 崑さん 俳優

2000年12月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時68歳)

介護する方もされる方も、テンション上げて陽気に!

“元気ハツラツ!”のキャッチコピーのCMで、お茶の間をにぎわした笑顔のまぶしい崑ちゃんこと、大村崑さん。
テレビ時代の到来とともに、26歳でデビューしてアッという間に人気者に。
以来、舞台やテレビで活躍。座長も務め、“芸人”としてだけでなく、味のある役者としても存在感ある演技を重ねてきた。
念願だった田舎暮らしも実現させ、昨年5月より兵庫県篠山市に『崑の村』をオープンしている。

◎“寝る・食べる・出す”3大原則で元気ハツラツ

「長生きできる日本だけど、元気で長生きできるようになりたいよね。
“元気ハツラツ〜!”って、ずーっと演技してきたから、ここまで元気でいられた。
人に見られる芸人こそ元気でいなくちゃ」。
10年前に、大腸ガンを患ったとは思えない元気な崑さん。
その健康法とは「快食・快便・快眠。これが崩れたらどんどん疲れがたまってくる。
車でも上手に使う人はよく整備してるのと同じで、悪くなる前によくメンテナンスせんと」。
若い頃に片方の肺を摘出し、坂道を歩くだけでも息切れしたが、ジムに通い水泳などで地道に鍛え、今は肺活量も2200ccはあるという。
「うまいもん食べて、じーっとテレビ見てのんびりするのは、その時はいいかもしれんけど、長い目で見たら鍛えてきて良かったと思う。
もともと恐がりやから、ちょっと悪くなるとすぐに医者に診てもらうようにしてます」と語ってくれた。

◎あこがれの田舎暮らし『崑の村』はファンへの恩返し

兵庫県篠山市今田町、丹波立杭焼きの里の真向かいの小高い丘の上に『崑の村』がある。
村内には、おみやげ店とギャラリーを融合した『崑屋』と、舞台多目的ホールとお食事コーナーがある『大村座』、ヤギ、犬、ひよこ、うさぎがいる動物園、野外劇場などが設けられている。
「皆さんにかわいがってもらってここまで来れたから、恩返しみたいなもんです。田舎の縁側に座って、ゆっくりくつろいでもらいたい。ボクの芸の歴史やら、今まで誰にも見せてへんかった眼鏡のコレクションとか全部、展示してます」。
また、舞台では週末、崑さん主催の『有名塾』の塾生が創作舞台を披露する。
役者になりたい、または芸人にはならなくても素人でやりたい10歳〜72歳まで、20人の塾生が『崑の村』に通い、芸を磨いている。
「笑いの中から、人生の機微を勉強してもらう。行儀作法、言葉遣いからやってます」と真剣そのもの。
ありがちなタレントショップと違うのは、崑屋の2階に長男夫妻が住み、地域の人とも自然に交流している点だ。
「ボクと同じ顔したボクより愛想がいい長男と、明るい嫁が“手作り”感覚でやってくれてます。将来の養老院をつくったからね。仕事のない土・日に、田舎に行くのが楽しみで。都会にいる時より、朝は早めに起きて冷たい水で顔を洗って、気持ちいいよ。田舎には四季がちゃんとあるから」と目尻が下がりっぱなしだ。

◎年寄りになるのが楽しみ

車いすメーカーの広告キャラクターとしても、崑さんは明るい笑顔を振りまいている。
その撮影時、施設の若いスタッフと接し、驚いたという。
「若いかわいいお嬢さんが、一生懸命お年寄りのお世話をしてる。日本もまだ捨てたもんじゃないと思った。で、その子たちが、やっぱり暗い無表情のおじいさんより、明るくてよくおしゃべりするお年寄りのほうが介護してても楽しいって。どうせなら、介護する方もされる方も、もっとテンション上げて、陽気にならなあかんと思う。車いすとか機器も、とても性能がいいものがあるし、若くてかわいいお嬢さんに介護してもらえるなら、年寄りになるのも楽しみや」と笑顔で語る。
さらに、お年寄りと若い世代とのふれあいについて「うちの長男のやさしさは、ボクの両親が教えたやさしさ。役者でもおじいちゃん、おばあちゃんに育てられた、長いこと一緒に暮らしていたという若い子はやさしい子が多い」という。
父親が厳しく叱り、母親が謝ってあげる。
父親は間違ったことをすると怒る恐い人で、しんぼうできなくなったら、おじいちゃん、おばあちゃんのところへ逃げる。
そんな人間関係の温かさが、失われつつあることを崑さんは嘆く。
「お年寄りと一緒に住まない。孫が会いにいけない。両親が揃って叱ってたら、子どももおかしくなるよ」。
最後に、お年寄りへのエールをお願いした。
「定年になりましたから、何もせず退職金で悠々自適になんて言うてた人は、半年も経たんうちに病院のお世話になってる。定年になっても家のこと、ボランティア、なんでもいいからスケジュールを埋めていくことが、生きがいになるんちゃうかな」。
では、崑さんの生きがいとは「人を笑わして幸せになりたい。どうしても、喜怒哀楽を表さない人がいたら、気になって仕方ないんやね。それではいかんよ、もっと幸せを自分でとりにいかなあかんよって、笑かし、励ましたくなる」。
そういいながら、眼鏡の奥の目がとびきりやさしく笑っていた。