本多 勝一さん 『週刊金曜日』編集委員

2001年04月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時69歳)

「“読者の支持”こそ最大の味方!」

かつて『本多勝一』という名に憧れて若者たちはマスコミを目指し、『朝日ジャーナル』を片手に学生運動を闘った。
今の一見豊かで平和な社会も、一歩裏道を覗けば巨大企業の独占支配と腐敗した利権政治屋がうごめいて、私たち一般市民の自由など、あたかも消えかかったロウソクの炎と知って愕然とするだろう。
その中にあって、常に毅然とした理念を貫いて前進し続ける本多さんのジャーナリズム魂から学ぶものは果てしなく大きい。

◎『週刊金曜日』創刊のいきさつ

昨年5月、雑誌『週刊金曜日』に連載されていた『買ってはいけない』が単行本として発売されるや驚異的なベストセラーとなり、さらにこの批判本も加わって久々の“大論争”が巻き起こったことは、皆さんの記憶にまだ新しいことと思う。
この『買ってはいけない』を発行したのが本多さんで、それまでどちらかというと地味でマイナーだった『週刊金曜日』は、たちまち全国にその名を知られるようになった。
実際の本多さんは、寡黙である。
いや当方のインタビューのまずさに閉口して、口数が少なかったというのが真意だろう。
当人の変装については前々から批判やら揶揄が絶えないが、掲載の写真はそのおなじみの変装顔で、“素”の本多さんとすれ違ってもまず普通の人は気づかないだろう。
変装の理由についてはこう語る。
「一番危なかったのは、29年前の1972年。『中国の旅』を書いていた頃ですね。右翼が子どもの小学校まで来て。それ以来、変装するようになりました。アメリカの場合は、取材自体が危ないんです。黒人と一緒に歩いていたから。特に南部なんかとても危険ですね」。
内容を補足すると、『中国の旅』は71年から朝日新聞に連載されて一大センセーションを呼んだ、現地の中国人たちからの入念な「聞き書き」取材のルポルタージュで、これによってジャーナリスト・本多勝一の名は全国に知られることとなった。
またアメリカの場合とは、69年に黒人社会を取材した名著『アメリカ合州国』のことで、同行したのは黒人のロイ=リーさんである。
さて肝心の『週刊金曜日』創刊のいきさつだが、これは92年5月29日の『朝日ジャーナル』終刊号に掲載した本多さんの『ジャーナリスト党宣言—タブーなき第四権力、新しい日刊新聞のために』を、具体化した成果である。
宣言の内容をごく簡単に紹介すれば、今や体制側の情報産業と化した日本のジャーナリズムと日本人のメダカ性(群れていっせいに同方向を向く)の中で、真のジャーナリズムを望む読者はどうすればよいか。
実は答えは簡単で、真のジャーナリズムをめざす日刊紙を別に創刊すればよいという結論だ。
「結局、日刊紙は別として週刊誌を出さないかという人がいまして。役割は違うけど理念は同じで、私としても書く場がなくなったので、あくまで“応援”しますということで承知したんですが、創刊して3カ月で社長も編集長もやっていた人が退陣しちゃったんです。それで仕方なく、臨時に編集人を引き受けたんですよ」。
その後本多さんにとって幸いなことに編集長は松尾信之さん、社長は黒川宣晃さんに変わり、「今は一介の編集委員。ようやく雑務から解放されまして」と初めて笑みがこぼれた。

◎今後の構想と故郷・伊那での介護

長野県下伊那郡の豊かな自然の中で育った本多さんは、本当は生物学をやりたかったそうだ。
学生時代に日本初の探検部を作ってヒマラヤ登山にも行った山男である。
またマンガを描いて投稿したこともあり、(没にされ止めたが)、そのせいか取材のフィールドノートは図や絵が多く、どこか黒澤明や手塚治虫の絵コンテを彷彿とさせる。
新聞記者を選んだのは“消極的理由”からで、薬局をしてほしいという親への反発などが重なって就職せざるを得なくなり、こっそり朝日新聞社を受験したという。
「最初から政治的意思や意向はなかったんです。でも新聞社にいるとたいてい最初はサツ回りといって事件記者をやらされますよね。事件記者というのは社会の末端の人と接触するので、だんだんそういうことに目覚めてきたわけで」。
また老後については、「あまり考えたことはないですね。
でも介護の問題は身近なんですよ、私の妹が重度身体障害者ですから。
昔の小児麻痺ですね。
故郷の伊那谷の松川町で松下拡(ひろむ)という人が昔から熱心に介護問題をやっていて著書もあり、村の中に福祉関係の組織もあって、その中で私の妹も育てられてきましたからものすごく助かったし、介護をする側の若い人たちも育てられました。そういう地域ですから、介護保険が実施されたらかえってレベルが低いんですよ。だから変な気持ちですね」。
今後の本多さんの活動構想としては、
(1)日刊新聞を創刊して100万部を目指す。同時に 雑誌とインターネットもそれとリンクさせる。
(2)総合的なテレビ局を創る。
ただし問題は、国の管理下にある「放送法」(特に不偏不党、真実、自律、表現の自由を定義した第1条の2)というおかしな規制であるという。
ますます多忙になりそうな本多さんだが、ジャーナリズムに限らず日本が抱える諸問題の解決のためにも、お身体に留意されて、更なる一大物議をかもし出していっていただきたい。