柳澤 壽男さん 映画監督

1993年06月-月刊:介護ジャーナル掲載より

30年間“福祉”テーマの映画を撮り続けいま看護婦の成長記録映画「ナースキャップ」の製作に胸膨らむ

30年間“福祉”をテーマに、ドキュメンタリー映画を撮り続けてきた柳澤監督がいま、「看護婦残酷物語り」ではなく、看護婦が希望の持てる看護婦の成長記録映画「ナースキャップ」を、1996年完成を目指して準備にはいっている。
柳澤監督の映画はすべて多くの人達からのカンパによって作り続けられてきたもので、今回の「ナースキャップ」も、すでに看護婦さんをはじめ700人近い人達からのカンパが寄せられている。
多くの人達からのカンパに支えられながら撮り続けられる「ナースキャップ」は、看護婦だけでなく国民一人ひとりが“看護”の問題を考え、見つめ直すテーマでもある。

◎新米看護婦の追っかけを3年間続ける「心通う看護とは、看護婦の仕事ってなあに」

柳澤監督が撮り続けてきた映画は、障害者の記録映画が多い。
看護婦に対する関心は2、3年前までにはなかったそうだが、「社会問題としてクローズアップされ、今までに付き合ってきた看護婦さんの話では、待遇は20年前となんら変わらず、異口同音に挙げたのは、心通う看護ができない、看護婦の仕事とは何だろう、看護の専門性とは何ですかといった言葉」。
そこで、徐々に看護婦物語りへの構想が心の中に膨らんできた柳澤監督は、希望を語る方法として、看護婦学校を卒業した中から10人を選び3年間追っかけをやることにした。
その間には、いい看護を撮影してきて見せたり、いい看護をしている病院に1週間ほど研修にいかせて、「看護についてどう思うか」、また「勤めている病院の看護をどう思うのか」といったやり取りの中から、「看護ってこんなものなのか」と確信してくれる看護婦が2、3人出てくることを期待している。
「一人の看護婦が成長していく過程の中で、あれもおかしい、これもおかしいということが観客に伝わればいい」と柳澤監督。看護婦だけでなく「看護婦のことを知らない一般の人達に見てもらうことで、看護の問題を国民全体で考えて行かなければ、労働組合や政治家だけに任せていても良くならない」と語る。撮影は来年3月から始まる予定。

◎千枚通しの“縁”でできた映画の数々

ここで柳澤監督の足跡を見て行くと、「夜明け前の子どもたち」(1968年)、「ぼくのなかの夜と朝」(1971年)、「甘えることは許されない」(1975年)、「そっちやない、こっちや」(1982年)〔写真上、撮影現場〕、「風とゆききし」(1989年)、などの作品がある。
柳澤監督に「何が監督業を続けさせてきたのか?」という問いに対して「ただ何となく」といった返事が返っえきた。
「ただ何となく」で30年。
いろいろな映画を撮り続けてきたが、その製作はすべて「製作委員会方式」をとってきている。これは、ひとつのテーマに対して興味を持っている人達に参画してもらう方法だ。
そして、カンパの方法もユニークだ「バカな話ですが、各大学の卒業者名簿やいろいろな名簿に、千枚通しで穴をあけ、一度も会ったことのない人達に、私たちがこういう映画をつくりたいので援助願えないかといった趣意書を送るんです」と説明してくれた。
全国に55,000通出すと、13,000通位返ってきたそうだが、映画を作る以前にメッセージを伝えるという行為は凄い。
ただ、この方法も日本が豊かになるとともに逆にお金は集まりにくい貧しい社会になったことだ。

◎監督の楽しみは「映画を見ること」

柳澤監督は高齢者の仲間入りになる齡。
自分自身のこととして「全国に30カ所ほどの特別養護老人ホームを知っていますが、こういう介護をしているのかと思うと、ここに入りたいというホームはありませんね。
制度が整えば整うほど、内容が落ちて行く感じがしてならない。病院にしてもしかり。自分が入りたい施設や病院にすべきです」と。
映画の道に入ったころ「首までドップリ浸かって抜け出せないよ」といわれたそうだが、生涯映画を撮り続けるという柳澤監督の楽しみは「今でも映画を見ること」だ。

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