努力は嫌い、練習は好き!?
ウルトラC、月面宙返り、10点満点…という言葉から私たちはすぐにオリンピックでの華麗な体操競技を思い浮かべるが、殊に日本人にとって体操はバレーボールと並んでオリンピックの華であり、栄光のシーンは今でも強く目に焼きついている。
その中でも森末さんの鉄棒での金メダル獲得と輝くような笑顔は、特別に印象的だった。現在はテレビや講演で活躍中の森末さんだが、その笑顔は選手時代と変わらずに健在だ。
◎大車輪に感激して体操の道に
岡山県出身の森末さんは地元の私立関西(かんぜい)高校から日本体育大学に進み、紀陽銀行時代にロサンゼルス・オリンピックで念願の金メダルを獲得した。 体操を始めた動機は「小学校の時、テレビで鉄棒の大車輪を見てかっこいいなと思ったことが、興味を持った直接のきっかけです。それで鉄棒からやり始めて、高校から本格的に体操クラブに入部したんです」。
なにより体操が好きなうえに実力も備わっていた森末さんは、日体大でめきめきと頭角を表わし、2年の時のインターカレッジでは床・平行棒・鉄棒の種目で1位になった。
卒業後は社会人体操日本一の紀陽銀行に入行したが、モスクワ・オリンピックの際は、選考会でまさかの敗退。次のロサンゼルスに望みをかけた。
◎短い現役年齢の壁を突破して
ロス五輪での森末さんを始め日本体操陣の大活躍は、改めて記す必要もないだろう。たくさんの視聴者がテレビにかじりつき、手に汗を握りながら競技の行方に一喜一憂した。
当時森末さんは27歳。
金メダルの栄光を極めた翌年、28歳で引退した。
「引退したのは金メダルを獲ったからというより、単に体がもう動かなくなったわけでして。体操選手の現役年齢の限界はぎりぎり25歳までですね、技も力も。今はもっと早くなっていて、あの池谷君は22歳で引退しましたよ」。
そんな年齢の壁をも乗り越えた27歳の金メダルは、やはり驚異的だ。体操の技術は短期間の内に高度なものへと置き換わっていくため、選手は新しい技の習得が欠かせない。また体格も森末さんは170cmと大きいが「男子の平均は165cmです。
もちろん大きいとダイナミックな演技ができて有利ですがその分、力技に関してもそれなりの筋肉が必要で、人の倍練習しないとついていけないんですよ」との言葉に体操の世界の厳しさが垣間見えた。
◎本当の努力とは…
さて森末さんは“努力”という言葉は好きではないと公言しているが、その真意はどうなのだろうか。
「つまり自分自身がそれを努力と思うか思わないかの違いではないでしょうか。
僕は好きなことをただやってきただけで、外からは努力を重ねているように見えたとしても、自分では全然そう感じていない。
そもそも“努力”という言葉は、少しでも自分がやりたくないとか嫌だなという気持ちがあることを抑えながら一生懸命やることだと思うんです。
僕の場合は夜中の1時2時まで練習しても、自分が楽しいから少しも苦にならない。ただ嫌いでもやらなくてはいけないこともありますから、それがきちんと成し遂げれば結果的に“努力”したことになると思います。
“運”についても同様で、自分自身で呼び込んでいるのかどうかはわかりませんが、僕自身は幸い運がよくて、それが最終的にメダルに結びついたということですね。
資質や才能に関しても、親が子どもの将来を期待して前もって決められるようなものではなく、自分でいろいろやってみる中で子ども自身が選択して、技術を磨いていくものだと思っています」。
◎常に可能性を求めて生きる
引退後、森末さんはスポーツキャスターとして、にこやかな笑顔とともにお茶の間へ登場することになる。
「実はバレーボールのキャスターをやってみないかとフジテレビから依頼されまして、それが縁でフジテレビ『スーパータイム』のキャスターをはじめほかのバラエティー番組にも出演するようになりましたが、僕自身はあくまでキャスターとして出発したわけで、芸能界に入ったという意識はありませんね」。
現在では元スポーツ選手のキャスターも多いが、男性では森末さんが初の起用だったそうだ。
またテレビ以外にも、ジャズにゴルフ、落語、体操漫画『ガンバ! Fly High』(小学館・単行本は全34巻)の原作者としてなど多彩な才能を開花させている。
「講演は年に約40回で内容はオリンピックの話をします。落語は勉強がてら同い年の『酉の会』の連中と、“金メダル亭慎二”という名で演芸場で主に古典を演じています。
ゴルフは体操と同じ個人プレーである点が好きですが、あくまで趣味の範囲です(笑)」。
体操はまだまだオリンピックのような大きな大会以外に見る機会も多くないが、森末さんの前向きな活躍に影響を受け、これからもたくさんのスター選手が輩出することを心から期待したいものである。