小錦八十吉(こにしき やそきち)さん

2003年07月-月刊:介護ジャーナル掲載より・・・当時、40歳

子ども達に、夢を持つことの大切さを伝えたい
タレント・元大関 KONISHIKI 小錦八十吉さん

ハワイ出身の力士として一世を風靡した小錦さん。角界を退いてからは『KONISHIKI』として講演やタレント活動を展開、圧倒的な存在感と陽気な性格で人気を博しています。そんな気さくな“コニちゃん”が、最も大切にしているのが実はボランティア活動。小さい頃から生活に溶け込んでいたという助け合いの心は、彼の生き方にしっかりと根付いている。

●勝つことに闘志を燃やした現役時代

現在はマルチタレントとして活躍するKONISHIKIさんが高見山関(当時)にスカウトされ、高砂部屋に入門したのは18歳の時。番付がものをいう相撲界は当然のことながら厳しく、「強くならないと認めてもらえないところ。相撲の世界以外の人と友達になれたのは関取になってから」と振り返る。そんな厳しい力士生活であったものの、持ち前の頑張りで3回の優勝を飾ったのは見事というほかないだろう。多くの外国人に、「キミの相撲を見て勇気をもらった」と声を掛けられたそうだが、そんな時にきまって返答したのが、「日本人になりきるしかなかったんだよ」という言葉だったとか。「食べ物の好き嫌いをなくし、言葉に対しても積極的になったね。言葉をしゃべれるようになれば友達もできるし、レストランに行っても好きな食事を注文することができるから。というのも、最初は『オムライス』と『カレーライス』しか言えなかったから、そればっかり食べてたんだよ」。辛かったであろう現役の1コマも、彼ならではのユーモアですっかり楽しい思い出話に。「日本に来て今年で23年目だから、ハワイよりも長く住んでいるわけ。もうすっかり日本人って感じだよ」と微笑む笑顔も屈託がないのである。

●ハワイの子ども達に夢のタネを蒔く

その後、通算733勝という成績を残して97年に引退。年寄佐ノ山として1年間を後輩の指導にあたった後、角界を退職した。16年あまりを過ごした相撲協会を辞めた大きな理由は、ボランティア活動に本腰を入れたかったからだという。実は彼、まだ現役として相撲をとっていた頃から老人ホームや子ども病院を訪ねるなどのボランティアを行い、97年からは出身地であるハワイの街の小学生35名を日本に招待するという活動も続けているのだ。35名は地元の7つの小学校から選抜された6年生で、来日した1週間を相撲見学やお茶、お花などの日本文化や習慣に触れ、これまで知ることのなかった世界を見聞きするという。「僕の住んでいた街はハワイでも一番貧しいところ。子どもの麻薬常習も多いし、未成年の妊娠率もすごく高い。だから子ども達には夢を持つことの大切さ、そして失敗しても立ち直ることの大切を伝えたいんだよ。でも僕は彼らの道を開く手伝いをほんの少ししているだけ。タネを蒔けば必ず育ってくれると信じているから。それに子どもが夢を持つと大人も幸せになれるんだよね」。8年前に始まったこの活動は『KONISHIKI基金』と名付けられ、これまでに300名以上が日本を訪れ多くを学んで帰ったという。当のKONISHIKIさんは受け入れの準備や世話で大忙しとなるが、「今の仕事もそのためにやっていること。それに自分ができる範囲でやっているからちっとも大変じゃないよ」とあくまでも気負いがない。

●自然と身についたボランティア精神

地元の子ども達を支え続けることが自分の夢だと語るKONISHIKIさんだが、そもそもボランティアを始めたのは小さい時からで、それは家族と一緒に参加するものだったという。「老人ホームに行ってお年寄りの話し相手になったり、刑務所に服役中の人と一緒にお祈りしたり。子どもの頃から自然と奉仕活動に慣れ親しんでいたからボランティアをしてるっていう意識はなかったよ。高校の時はティーンエイジャーの悩みを同じ10代の僕達が聞くっていう活動をしたり、1人で刑務所に行って更正プログラムを企画したり、いろんなことをやったよ」。ボランティアというものが特別なことではなく、ごく自然に生活の一部となっているハワイと、そうではない日本。どこに違いがあるのだろうか。「ボランティアといってもハワイでは友達もできるし、めちゃくちゃ楽しいっていうイメージ。ワクワクって言葉がピッタリなんだよ。でも日本人のボランティアにはプレッシャーが感じられるね。何事もキッチリとやるからすごくしんどそう。それに日本の子どもたちは中学校になったらみんなロボットみたいになっちゃう。良い高校、良い大学って大人が希望する道に進まされる。そんな子たちばかりの社会なんて面白くないのに」。 さて、今ようやく自分がやりたいことができるようになってきたと話すKONISHIKIさん。奉仕という概念にとらわれることのない自然体の活動は彼自身のライフワークであり、最大の楽しみともなっている。そして、人生の成功者であってもお金を儲けることが目的ではなく、どう生きていくのかというテーマを大切にしている彼。私たちが学ぶことは大きい。