中村 泰士(なかむらやすし)さん 作詞家・作曲家

2002年04月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時62歳)

“シニアーズDAY”熟年よ歌で元気に!

4(シ)月28(ニア)日は“シニアーズDAY(熟年をたたえる日)”。
日本記念日協会の認定を受けた、れっきとした記念日である。提唱者は『喝采』『北酒場』『わたしの青い鳥』など数々のヒット曲でおなじみの作詞・作曲家、中村泰士さん。
「歌を通じて大人が元気に」と“シニアーズDAY”を発案し、記念イベント『シニアライスコンサート』を年1回開催する中で着実に楽しく、音楽を通じて熟年たちを応援する活動を続けている。

◎現代は大人にこそ元気が必要

今は大人がダメな時代だと中村泰士さんはいう。
「なぜそんなに自分に自信がないのだろう。なぜもっと自分を見つめないのだろう。なぜいつも自分を大事にしないのだろう」。
「孫がいるから、亭主がいるから、子どもがしっかりしてくれているからといってばかりで、俺が、私がという人が少ないのが残念だ」と中村さんは語る。
確かに現代は若者たちが闊歩し、その片わらで年をとるほどに大人は居心地の悪さを感じている。
だから大人に元気がない。
中村さんは1995年の奈良県知事選、1996年の衆議院選(大阪3区から出馬)でそのことを強く実感した。
そして、選挙では残念ながら落選したものの多くの応援をもらい、それが大きな力となった。
また、選挙が後の生き方も変えたという。
「とても悔しかった。でもそれで萎えてしまってはだめだ。あの人を応援してよかったと思われるような生き方をしなくては」と選挙後はあえて仕事のしにくい奈良に移り住んだ。
自身の年齢に関しても、「おふくろのように90歳まで生きるとして、後20数年。死ぬまでには倒れることもあるだろうし、痴呆になるかもしれない。
そこから逆算すると、今の自分が見え、何を楽しもうかと考えた。老いることとやれることとのせめぎ合い、このふたつと相談しながらね」と語る。
その結果、「僕にはミュージシャンとして一時代をリードしてきたという自負もあり、今も進行形で『さすがは良い歌を書く』といわれるようでなければ、後半の人生がある意味でゼロになる。
音楽を通じて、現代の大人たちへ自分なりのエールを送ろう」と考えるようになった。
中村さんにとって大きな意識の変化だった。

◎庶民の暮らしの中にウエーブを

今のヒットチャートは若いアイドルの曲がめじろ押し。
しかし中村さんがパーソナリティーを務める日曜朝のラジオ番組ではあくまで熟年層にこだわり、かつての若者が愛した曲ばかりを流す。
そして“シニアライスポップス”と名づけられたそれらの音楽は、リスナーに圧倒的な支持を得た。
そんな中で「4月28日をシニアーズDAYに」との発想が生まれ、その実現のために1999年から『シニアライスコンサート』という記念イベントを続けた。
ゲストを迎えてのトークと中高年なら誰でも歌える70年代の名曲を集めたコンサートで、近畿8カ所で開くステージには2万3000人以上の熟年男女が集まった。佐川満男、錦野旦などのビッグネームが快く参加してくれたが、主役はあくまで客席だと中村さんは考え、「おっちゃん、おばちゃんたちを引き込み、将来のシニアも巻き込んで、大阪の暮らしの中にウエーブを起こしたい」と夢見た。
中村さんの粋な企みは見事に成功し、客席を巻き込んだポップで華やかな大人のためのコンサートは、年ごとに規模を広げ定着していった。
そして、“シニアーズDAY”は昨年7月に正式な認定を受けた。
今年からはより本格的に始動するというわけだ。

◎シニアとは『成熟』への称号

ちなみに“シニアライスポップス”とはライス(お米)の味がわかる大人世代の音楽という意味。
そして「ジュニアに対してのシニアは、マチュア(成熟)していくまでに得るひとつの称号」だと定義する。
「シニアの誇らしさ、経験などを良い形で後輩たちに伝えられれば」と中村さんは願う。
「歌を手がかりに“ファーザーズDAY”のような多角的なイベントにしていきたい。キャンペーンを打ち、異業種が集まって、イベントを大きく膨らませられればおもしろい。
ゴールデンウィークをはさんでの“シニア−ズ週間”や“シニアーズ月間”にしたい」という構想は、団塊の世代を巨大マーケットとして捉えた経済活性化の戦略のひとつにもなりうるだろう。
そして東京からも声がかかるが、「この活動は関西でやってこそ」と地方発信にこだわりを見せる。
お話の中で「昔聞いた音楽をただ懐かしんで聞くだけなら懐メロ。
過去の作品群を今の感性で聞いた時にどれだけ感動があるかを大切にしたい」という言葉が耳に残った。
年齢や経験を重ねたからこそ、いっそう響くメロディーや詞がある。年月を重ねればこその良さが、歌にも、そして人間にもあるということを教えられた気がした。