宗 茂 さん 旭化成陸上部監督・元マラソン選手

2002年08月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時49歳)

“勝ち”を自信に、“失敗”を経験に

第28回ベルリンマラソンでの高橋尚子選手の優勝に日本中が沸き立ったことはまだ記憶に新しい。マラソンは壮大なドラマでもある。
そんな日本のマラソン界を育て支え続けているのが、一卵性双生児のランナー宗兄弟だ。
「勝つことが大事。だから365日、選手たちに勉強しろ、練習しろといってます」と語る、厳しい中にも寛容で温かいハートを持った宗・お兄さんに、マラソン界の現在と未来を語ってもらった。

◎小学生で、初めて持久走を経験

宮崎県延岡市にある旭化成のクラブハウスに宗さんを訪ねた日はあいにくの雨だったが、応接室には多くの優勝カップや選手の写真が飾られ、55年という陸上部の長く輝かしい歴史を肌で感じ取ることができた。
昭和46年に弟の猛さんとともに旭化成に入社した宗さんは、昭和53年の別府大分マラソンで優勝して以来、世界のトップランナーとして活躍。さらに昭和55年からの第31回〜34回の朝日駅伝では、兄弟揃って加わった旭化成チームが連続優勝を成し遂げた。
「子ども時代はよく外で走り回って遊んでいましたね。でも中距離は得意でも、短距離は苦手で…。だから小学4年生までは、体育はあまり得意じゃなかったんです。
で、たまたま体育の時間に持久走で走ったらクラスのトップになりまして。距離は2キロ弱だったと思います」。
次男の尚さんも早稲田大学の陸上部に所属しているが、やはりこうした天性の才能は遺伝するものなのだろうか。
この点について、宗さんは少し考えながら「環境的には一般の人より恵まれているとは思いますが、才能が子どもに受け継がれたかどうかはわかりませんね」と慎重に答えた。
「長男は現在25歳ですが、東京の出版社に入り、競技の世界には足を踏み入れませんでした。
彼の場合は、親の走る姿をリアルタイムで見てきたことが逆にプレッシャーになって、違う道を歩ませたんだと思います。次男の方は、マイペースで走ってますよ」。

◎一番辛いのは、故障で走れないこと

サッカーや野球のように技術でプレーをするスポーツなら、30代〜40代で再開してもそれなりにさまになるが、長距離はいったん止めてしまったら心肺機能がぐっと低下し、あっという間にだめになる。その位ごまかしのきかないスポーツだそうだ。
また、どのスポーツでも同様だが、マラソン選手にも常に“故障”がつきまとう。
「僕も一番苦しかったのは、故障で走れない時でしたね。走れないというのは力が落ちることであり、またより高いところを目指しているのに強くなれないということだから、やはり焦りますね。1カ月練習を休むと、体調を戻すのに3カ月かかりますから。そうなると“走れる”というのは、例えそこでもがき苦しむとしても、選手にとっては一番充実感を感じる時なんですね」。
トップクラスの人ほどトレーニングを積んできているので、より故障の部分も多くなる。
しかしたとえ故障中でも、その走れない間に何をし何を考えるかで選手としての実力に差がついてしまう。一番大切なのは、体重を増やさないことと、走る代わりに徒歩や自転車で訓練を続けることだという。
「走るということに対していかに飢えるかが大切で、飢えて飢えて走りたくてたまらない状態でいると、故障が治った時、それまで耐えて続けてきた練習がすべて自分のものになって返ってくるんですよ」。

◎『駅伝』は世界に誇る、日本のマラソン

女子選手の場合、長距離は身体に有害という理由で32年間もオリンピック競技から外されていたが、選手たちの昨今のめざましい活躍には目を見張る思いだ。だが一方で、勝つためには男性の倍近くある体脂肪率を10%以下に落とさねばならず、生理不順や疲労骨折に悩む選手も少なくない。
「この場合、大会の数日前からコンディションを良い方に持っていくように指導していますが、女子に限らず大会への各人の調整は、最終的には自己管理しかないですね」。
今、マラソンは人気のあるスポーツのひとつだが、宗さんの考えは意外とシビアだ。
「これも価値観の問題でして、時代によって人気も変化します。日本でのマラソン人気は、外国にはない“駅伝”によって競技人口が多いためで、裾野が非常に広いんです。しかしテレビのマラソン中継の視聴率を調べると、視聴者は年齢が高い層が中心のため、現在の若者が大人になった時には人気が一気に下降する可能性もあります。ですから、世界に通用する有名な選手やチームを僕らがきちんと育てていくことが、人気を保つ一番の近道だと考えています」。
帰りがけ、降り続く雨の中で黙々とランニングを続ける若い女性を見かけた。弟の猛さんの娘の由香利さんだという。
若い世代にこうして確実に受け継がれていく宗さんたちの夢を目のあたりにし、“昨日の自分を越えていく”ということの意味を思った。