中島 誠之助さん 古美術商

2002年09月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時64歳)

思いやりとまごころ、江戸っ子トークに込めて

テレビは時代を反映し、また新たな時代をも創り出す。
テレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』の放映は、またたく間に一般家庭にまで“お宝”ブームを巻き起こし、古伊万里に関する第一人者で「いい仕事してますね」の決め言葉が冴える中島さんは、鑑定士を代表する顔となった。
その多彩な経歴と才気は、時として同業者の反発を買うことも。歯に衣着せず権威に媚びない反骨の士が少ない今こそ、江戸っ子の心意気を見せ続けてもらいたい。

◎人生の3つのハードル

この人、まれに見る剛毅な行動人である。
裕福で名のある骨董商だった伯父のもとで養子として育った少年は、終戦前後の価値観の逆転した社会の有り様を肌身で感じながら、幼い頃に垣間見た海への憧れを胸に秘めつつ、大学の水産科に進んだ。
そしてマグロ船で母なる海へと乗り出したが、シンガポールの地で華僑の商人魂に天啓を受け、一転、古美術商の道を選択する。
「私の持論は人生には3つのハードルがあるということ。
これは自分自身にもあてはまるものですが、ことに男の人生は大なり小なり過酷であって、この3つのハードルを無事に越えた時点の60代で、それまでの人生を振り返るべきなんですね」。
第1ハードルとは、40代での“命の危険”。
自分の力を試してどこまでも進んでいった結果、最後は自らの命をもって終結という結果になることもある。第2は40代後半〜50代初期の“性の危険”。
この頃は性的な焦りもある時期で、過ちが発覚して社会的地位を失うことも。
第3は50代後半〜60代初期の“経済の危険”。
延々と築きあげてきた事業や財産が、破産などで一気に瓦解する場合もある。
「これらのハードルに対処できるのは、自分の強い意志だけではないでしょうか。若い頃から常に探究心や好奇心を持ってさまざまな体験をし、1日そして1時間を大切に過ごすことだと思います」。

◎健康は、新たな人生への扉

この人、強烈な自信に裏打ちされた孤高人である。
「3つの苦しいハードルを越えてから、本当の楽しい人生が始まると思います。若い頃に蓄えたさまざまな“種”を60代以降に芽生えさせるには、まず健康でなくてはいけません。私はあまり丈夫でないので、健康には人一倍注意しています。40代から毎日欠かさず30分〜1時間の競歩(速足)をし、階段もできるだけ昇り降りします。お金をかけるのでなく、心がけの問題ですね。後は常にメリハリのある暮らしをすること。他人に見られているという意識を持って、どこでもピシッとした行動をすべきです」。
健康だと明日を思い煩うこともなく、今この時点を一生懸命生きようという気概も生まれる。
もちろん人生には予期せぬ突然の幕引きもあるが、健康に留意して長生きをすれば、また違う意外な人生が待ち受けていることも、往々にしてあるものである。
「例えば、なかにし礼さんが、『今日まで生きたことで直木賞を獲れた。そして明日はまたどうなるかわからない…』と述べていますが、これなどまさに人生の達人の言葉ですね」。
そう語る中島さん自身、自分の人生に重ね合わせて、感慨を新たにしているのかもしれない。
「人間というのは、だからいくつになっても無限の可能性を秘めていて、そうするとこの人生自体、とても面白いじゃないですか」。

◎あくまでも、自分を貫いてこそ

この人、高い矜持を持った本物の江戸っ子である。
「最近は男女とも、階段の降り方が下手ですね。1960年代のハリウッド・スターみたいにピンと背筋を伸ばし、つま先から降りる癖をつけなくちゃ。
昔の軍人さんが階段を2段ずつ昇ったように、そうした“意気”を持って粋に生きていきたいものですね」。
長野県の諏訪大社に天下の奇祭のひとつ、御柱祭がある。6年(数え年で7年)に1度、寅と申の年に奥山から運んだ樅の巨木を社殿の四隅に建てるものだが、寅年生まれの中島さんは36歳から御柱祭を見に行くようになった。
「で、私は6年が自分の周期ではないかと気づきましてね」。つまり御柱ごとに人生の大きな転機が来るので、知人ともども、次の御柱までには…と励みにして歳月を乗り越えてきたそうだ。
「私はどちらかというと古い感性を持った“侍”ですから、今の世の中にそぐわない点もあります。
ですが、歴史は繰り返しですから、決して基盤となる自分を変えることはありません。
この世でもっとも大切なのはお金では買えない“思いやりやまごころ”であり、私が常々いっている“いい仕事”の意味は、誰にも真似できずお金でも買えない、その仕事に込められた思いやりやまごころのことでもあるんですよ」 。
そう語る中島さんには、人生のハードルを乗り越えながら“いい仕事”を重ね続けていくという、意志の力がみなぎっているように感じられた。