女は一生キレイで元気に!
ハリウッド化粧品、そしてビューティーサロンといえば誰もがうなずく日本美容界のシンボルであり、社長のメイ牛山さんは今もバリバリの現役で活躍されるカリスマ的存在としてつとに名高い。
時代の変貌を的確にキャッチし誰よりも長く美の世界のトップであり続ける牛山さん。
独自の原理である“SBM美容法”とともに素晴らしいパイオニア魂で貫かれたその生き方は、すべての女性に勇気と希望の灯をともし続けている。
◎キレイが好きで美容家の道へ
第1次世界大戦が始まる3年前の1911年(明治44年)、山口県に生まれ美しい瀬戸内海の自然の中で育ったメイ牛山さんは、子どもの時から独創的なおしゃれが好きで、美容家として成功した後も自然の造形をヒントに新しいメイクやヘアスタイルを創作し、肌の手入れやおしゃれに関しての『四季の美容ダイヤル』を考案した。
つまり人間も自然の移り変わりに影響されており、風土や季節に応じた食べ物や美容法があるという考えで、例えば秋の肌には特に優しいケアを、メイクやおしゃれは華やかで優雅に…という具合である。
「欧米から帰ると、湿度の差で途端に身体が重く感じるんですよ。
乾燥している外国はシャンプーの回数も少なくてすむし、カールの持ちも違います。
また服の色彩の鮮やかさや香水の香りも異なり、当然育つ植物も変化するので、その国の風土に合った食べ物が一番おいしくて価値があるわけですね」。
さて、幼い頃に父を失った牛山さんは職業婦人の母の凛とした姿を見ながら成長し、上京してハリウッド美容講習所(現・ハリウッド美容専門学校)の内弟子となり、売れっ子美容師として頭角を現していく。
そして経営者の牛山清人氏にプロポーズされ、稀代の美容家・メイ牛山が誕生することに。
それはまた夫婦二人三脚による、ハリウッドグループの躍進の幕開けでもあった。
◎チャレンジ精神で美容界のトップに
「今までの歳月を振り返ると、ここまでこられたのはチャンスや時代に恵まれたせいもありますが、何より自分の好きなことと仕事が一致した点が大きいですね。
とにかく美容の仕事が好きだったんです」。
先駆的な仕事を切り開いていくには人知れぬ苦労も多かっただろうが、牛山さんは生来のおおらかな性格とバイタリティーで次々と成功を収めた。その歩みは同時に、日本の美容史の変遷とも重なる。
「80年前の日本にはコールドクリームもなく、化粧水といえばもっぱらヘチマコロン。敗戦当時も欧米の美容界とは50年の差がありましたね」。
美容の先進国アメリカへ視察と技術研修のため訪れた牛山夫妻は、その後数々の斬新な新製品を発表していく。オークル系ファンデーション、脱毛ワックス、マスカラ等々。
中でももっとも画期的な製品は、“オーキッドマスク(酵素パック)”だった。牛山さんがキュウリの美白作用に注目したことで、毛穴の汚れや古い角質を分解する酵素入りの化粧品へ結びついたものだが、後にアメリカの美容関係者からも優れた効能を称える手紙が届いたほどだという。
やがて高度成長期からファッションも多様化し、食事の変化で顔も欧米化した日本では、自分らしさを表現する“個性”の時代に入る。
そして牛山さん自身も、常にニーズを先取りしながら活躍し続けていった。
◎真の美しさは心と身体の健康から
ハリウッド化粧品のテーマ“SBM美容法”は、SKIN(お肌はいつも清潔に)、BODY(身体の内から美しく)、MIND(心はいつも明るく)という心身のトータルな理論に裏づけられている。
これは真の美しさを引き出すための“三大排泄美容法”のことでもあり、皮膚からの排泄(洗顔・入浴)、身体からの排泄(血液浄化・排便)、ならびに暗い心の排泄を意味する。
内面を伴った成熟した美しさが現われるのは中年からで、だから「人間はやはり見た目が大切。
こぎれいなおばあちゃまを目指して」と牛山さんは強調する。
実はその牛山さんも25歳〜40歳の頃に肉食中心の食生活を続け、家族全員がアレルギーや疲労、物忘れ、イライラ感で悩んでいたという。
そんな折に清人氏が倒れ、自然食で高名な栗山毅一先生の指導により“美健食(美容健康食)”の研究を始めることになった。
『四季の美容ダイヤル』にもあるように、食事も風土と季節に合ったものが一番で、日本は主食の米と旬の野菜中心の副食という昔からの食事が実に理にかなっているとされる。
自然食の正しい摂取で膵臓ガンを宣告された清人氏がみごとに回復して天寿を全うし、牛山さんもはつらつと現役をこなしている。
「今はすっかり健康で、毎日いろんな人と会うのが楽しみなんですよ」。
一生勉強し、おしゃれをする、何でも興味を持って見て創るをモットーに今日もパワフルに日本中を飛び回る牛山さんの笑顔は、太陽のように明るく美しく輝いていた。