市田 ひろみさん 服飾研究家

2003年04月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時70歳)

“一生懸命”が人生を切り開く

耳に心地よい京言葉としっとりとした着物姿で、テレビに雑誌に講演にと大活躍の市田ひろみさん。民族衣装を訪ねてすでに世界100カ国以上を巡り歩いた服飾評論家としても知られている。
その大らかな笑顔と歯に衣着せぬ物いいが万人に元気を与えているところだが、そこには新しい時代を切り開いてきた仕事人としての誇りも感じられる。
京都に暮らしながら、忙しいスケジュールをエネルギッシュにこなす市田さんの素顔に迫ってみた。

◎トレードマークは笑顔の“元気印”

エメラルドグリーンの着物姿で颯爽と現れた市田さん。
「今朝は大谷大学で人間学の講義をしてきたんですよ。
この後は講演会。もうめちゃくちゃなスケジュールなんです」と、まさに目の回るような忙しさ。
大阪の大谷女子短大では30年以上も前から講師を務め、民族学から生き方論まで、自らの人生経験をふまえた語りに学生らが殺到している。
「今でこそ“元気印”というのが私のトレードマークになりましたけど、女は嫁に行くのが当たり前という時代に仕事人になりましたから、7回くらいは挫折しましたよ。でも苦労は人に見せたらダメやと思うんです。
私は京都で育ちましたが、昔は縁談になると近所への聞き合わせというのがあったんですね。
それで親は娘に『いつもニコニコしてなあかん、怖い顔してたらあかんえ』って始終いうわけです。
こういうことが私にとっては後の仕事にすごくプラスになりましたね」。
市田さんの笑顔を見るとホッとする、笑い声を聞くと嫌なことを忘れる、と評される魅力はこんなところに原点があったのだ。

◎母の厳しさが忍耐を教えてくれた

昭和28年に大学を卒業してヤンマーディーゼルに就職。その後は女優として映画デビューも果たしたが、昭和36年に京都に戻り、母親が経営する美容室の手伝いを始めた市田さん。
「当時の常識に逆らうように女優さんや着物コンサルタントの仕事をしていた私は、とかく目立っていたんですね。いわゆる“京女”の定番からは外れっぱなし(笑)」。
そして、出る杭は打たれるのが世の常で、着付け教室を始めた時には「美容師のくせに素人に着付けを教えてどうすんねん。
ひとりで着られへんから美容室に来てくれるんやのに」などと結構なバッシングにも合ったそうだ。「あることないこといわれて泣いてばかりいましたね。
すると母が、『泣いたら負けや。悔しいんやったら勉強して見返してやったらいいねん』というんです。
今の親だったら、そんなに辛かったら止めたらいいというところでしょうけど、そうではないところが“明治の親”やなと思いましたね。
親が負けたら子も負ける、親がこけたら子もこけるんです」。
それから市田さんは猛勉強を開始。府立図書館を勉強部屋のごとくに利用して、服飾や染織などの知識を吸収、奈良の正倉院展には解説を覚えてしまうほどに足繁く通ったという。
それからはテレビで初めて着付けや帯結びのプロセスを紹介したり、上下分離式の着物を提案するなど、和装の魅力を多くの人に伝えることにも心を砕いてきた。
「その時に必死で勉強した蓄積で今食べているんです」。
テレビから受ける“苦労知らずで育ちのいい女性”というイメージとはまったく異なる努力の人生。多くの悔しさと悲しさをバネに懸命に歩んだ結果が、今の市田さんの姿なのである。

◎“善意の第三者”に感謝して歩む

このような経験を見込まれてか、今では雑誌を中心に人生相談のコーナーを多く受け持っている。
「でも、相談内容には恨み節が多いんですよね。私の父はよく『人のこと悪くいったらあかん。天に向かってツバ吐いたら必ず自分の顔に落ちてくるで』といったものです。今は昔と違って付き合う人の数が多いから、合わない人ももちろん出てくるでしょうし、狭く深く付き合ってたらつまらないことで悩む結果になります。それよりも広く浅く、いい意味で八方美人に生きた方が得なんですよ」。
このほか日本和装師会会長などいくつもの任を負っているが、根幹にあるのは“服飾研究家”という仕事である。
36歳で40日かけてヨーロッパ11カ国を訪問したのを皮切りに、民族衣装を訪ねる旅は30年に渡りすでに100カ国以上にものぼる。
「民族文化の集約が衣装だと思っています」と語る市田さんの成果は、横浜市の『シルク博物館』で催される展覧会で今年11月に出逢うことができる。
どんな時も自らで人生を切り開いてきた芯の強さを感じるが、「それでも人というのはひとりでは生きられません。よくいうんですが、私にはいつも“善意の第三者”がいてくれるんです。女優になれたのも着物の先生になれたのも、緑茶のコマーシャルに出演したのもそういう人がいてくれたから」。
それでもやはり、その一生懸命さや人柄があってこその第三者であったろう。
たゆまぬ努力、そして謙虚さ—市田さんの生き方は、私たちが忘れがちなさまざまな大切なことを改めて教えてくれる。