俵 萠子さん 評論家・俵萠子美術館館長

2003年06月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時72歳)

病を乗り越え、よりよく生きる

産経新聞記者を経て教育・女性問題など幅広い評論活動を続けてきた俵さんのチャレンジ精神は、飽くことを知らない。
現在は群馬県・赤城山の“俵萠子美術館”館長として、陶芸塾に講演にと多忙な日々を送っている。だがその裏には、乳がんとの果敢な闘いの日々があった。
同じ乳がん患者同士の熱い思いが実った“1・2の3で温泉に入る会”設立への経緯とその活動は、多くの女性にとって勇気と希望の道しるべとなるに違いない。

◎「温泉に入れますか?」

右の乳首に軽い違和感を覚えたのは1995年頃だった。翌年には左の乳房も腫れて痛み出した。
それまで病気とは無縁の俵さんが意を決して訪れた病院での診断は、予想もしない乳がん。
すぐに手術で右乳房を全摘した。65歳だった。手術は成功したが、傷跡を見るのは怖く、喪失感も大きかった。
それから5年。「2000年6月18日のことです。
その日も美術館のロビーに座っていたら、50歳くらいの見知らぬ女性に『俵さんのご本に励まされて何回も読み返しました』と挨拶されました。
とっさにこの人も乳がんだとピンときて『あなたは何年目?』と尋ねたら、18年だと。するとその人が帰り際に私の耳元に口を寄せて、『俵さん、温泉に入れますか?』と聞いたんです。
私は思わず絶句しましてね」。
実は俵さんは手術以来、1回も温泉に入っていなかったのだ。講演で旅館に泊まっても、有名人ゆえ常に他人の目がついて回る中で、片方の乳房のない姿を興味本位に見られたくなかったし、あえて入らない理由を告げた際の相手の狼狽ぶりにも心を痛めていた。
「皆さんには想像のできない辛さですよ。
そんな時に温泉に入れますかといわれたのですが、もし仲間が大勢いたら、みんなでドボーンって入れるんじゃないかとふと思って、さっそく仲間集めの方法を考えたんです」。
そして俵さんは、70歳で始めたパソコンのホームページに会員募集のお知らせを載せた。
“1・2の3で温泉に入る会”の始動開始だった。

◎病気はマイナスばかりじゃない

反応は早かった。
2001年11月24日、群馬県・伊香保温泉で正式に会を立ち上げた。集合したのは49人。
1年後の熱海の全国大会には130人が参加して、おそろいのピンクのタオルで温泉を楽しんだ。
現在の会員数は約300人で、各県支部ごとに懇親を深めている。
「会の約束事は、政治、宗教、物の販売に利用しないことです。
病院と医師にはほどよい距離を置いて活動するよう努めています。
温泉に入ると自然に親しくなって、私たちは乳きょうだいといってますが(笑)。
それと病気の再発も心配なので、新しい医療技術の情報を共有して学習もしていますし、さらに一歩進んで、会員以外の人にもボランティア活動をしていく方向に歩き出したところです」。
活動の中でも特筆すべきは、会員65人の手記を集めた『病気がくれた贈り物』の出版だろう。
初版3000部はすぐに売り切れ、改訂増刷中である。
「書き手は普通の主婦ですが、『“何もないのにいい日”が人生にあるのに気づいた』など、感銘を受ける文章が多いんですよ。
私自身も病気になって、初めていろいろなことが見えてきました。
なぜ手術の傷を恥じなければいけないのか、ということに気づいたんですよ。
ですから物書きとして、私は非常に大事なことを病気から得たことになるわけですね」。

◎介護に医療、まだまだ書きます

さて現在は乳がんに関してはほぼ100%告知されるそうだが、インフォームド・コンセント(説明を受けたうえでの自己決定)やセカンド・オピニオン(主治医以外の医師の意見)についてはまだまだ、と俵さんの意見は手厳しい。
「インフォームド・コンセント不足のための乳がん訴訟は今でも少なくないんですよ。
またセカンド・オピニオンは患者だけでなく医師自身を守るものなのに、その考え方自体浸透していないし、自分の検査データも手に入れられない。
これは保険制度の問題もあるわけで、制度的にもきちんとしないと根づかない。
私はこの点が今もっとも重要だと思っています」。
俵さんの目はさらに、老人介護にも向けられる。
独自に老人施設を取材して歩き、“老後の自立”という問題を考えているのだ。
要介護度が重くなると、家族を犠牲にしないためには施設に入らざるを得ない。
しかし、その施設自体もなかなか入れない現実に大いに憤慨する。
「24時間サービスはないし、ほんとに中途半端な介護保険だと思います。
このことを本に書いて、きちんと問題提起したいと思ってます。介護保険だけでは不十分だということを、はっきり書きたいんです」。
今年はまた、60代の総括をして『60代の幸福』を書き、40代・50代・60代の三部作を完成させるという壮大な目標があるそうだ。
年を重ねるごとに、さらに情熱的でエネルギッシュになる俵さん。
どうかご自身をいたわりながら、いつまでも輝き続けていただきたい。