ちばてつやさん マンガ家

2004年02月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時64歳)

時代の語り部として、人間を描く

青年向けマンガ雑誌『ビッグコミック』(03年10月25日号・小学館)に、特別記念読み切り『家路1945〜2003』が掲載された。ご自身の終戦時の体験を描いた作品である。
あの伝説的な名作『あしたのジョー』で名高いちばさんだが、『紫電改のタカ』『屋根うらの絵本かき』『少年たちの記憶』(中国引揚げ漫画家の会編)など、戦争をテーマにした作品も多い。
これらに共通する幼少期のエピソードこそ、永遠に色あせない、ちばマンガの原点なのだ。

◎幼い目に刻んだ戦争の記憶

2003年秋、電車内の1枚の中吊り広告に目が吸い寄せられた。凍てつく雪の中で心細げに振り返る少年の顔。『家路1945〜2003』の予告である。電車から降りた後も、しばらくその絵の残像が消えなかった——。
その年の7月、ちばさんは新しい作品の構想を練っていた。
「浅草の浅草寺境内に、ぼくがデザインした“まんしゅう母子地蔵”があるんです。これが出てくるシーンを描くので、写真を撮りに行ってたんですよ。タイトルもまだ決まってないですけど」
生後ほどなく一家で朝鮮半島に渡り、2歳から終戦までの5年間を旧満州・奉天(現在の中国・遼寧省瀋陽)で過ごした。当時日本は傀儡政権の満州国をつくり、全国から約32万の開拓民がこの地に移り住んでいた。
「満州は五族協和とかの旗印がありましたが、本来は植民地でしたから、日本人は威張ってたんですね。戦争中は爆撃機もそんなに来なかったので、満州は住みやすい、夢のある国だったんです。
広い大地に太陽がドーンと落ちていくような場所で、とても穏やかな時間が流れていたと思います」
しかしそんな日々も敗戦と同時に一転し、悲惨な逃避行が始まった。
「すごい地獄を見てきました。寒さと飢えと恐怖、それと絶望感。一冬で約24万人死んだといわれています。中国から引揚げてくるときに、こうした現実があった。
それもたった58年前のできごとなんだよということを描くつもりなんです」。そして完成したのが、『家路1945〜2003』だった。

◎好きな絵がそのまま仕事になった

「ぼくはどちらかというと、家の中で本を読んだり絵を描いて遊んだりというのが趣味でしたね。満州は夏が短くて、あとは零下20度とか30度の世界になっちゃうんです。
印刷会社に勤めていた親父が本好きで、壁一面ずっと本棚でした。で、親父が“やれ紙”という裁断後に余った紙を焚つけ用に持ち帰ってきて、大きいのがあるとぼくにくれたので、それに絵を描いて遊んだりしてましたね」
面白いことに、同じ引揚げ者の中から著名なマンガ家がたくさん輩出されている。赤塚不二夫、古谷三敏、森田拳次、北見けんいち、高井研一郎さんらの面々だ。現在の“中国引揚げ漫画家の会”のメンバーでもある。
さて7歳で故郷に戻ったちばさんは、東京の小学校で運命的な出会いをする。
「木内って同級生がマンガを描いていて、ちば君、一緒にマンガをつくらないかと。それでぼくも描きはじめたんですね。2人で『漫画クラブ』という同人誌をやって遊んでいたのが、いつの間にか仕事になってしまったというかんじで」
この当時読んでいたマンガは、父の好きな『漫画読本』やペイネなどの外国の1コマもの(カートゥーン)。やがて木内さんの影響で小松崎茂の『地球SOS』や山川惣治の『少年王者』といった絵物語へ広がり、さらに手塚治虫、馬場のぼる、ディズニーなども加わって、それらすべての作品から影響を受けたという。

◎人間の本来の姿を問い続ける

プロデビューしたのは高校生のとき。端正で気品のある美しい描線と、さりげない日常の1コマも懐かしい心象風景へと昇華させうる描写力は、他の追随を許さない。
また、比較的初期の作品の『紫電改のタカ』は、それまでの戦記ものとは次元の異なる視点から描かれていてユニークだ。
「当時はスポーツ感覚で戦争を扱ったものがヒットしてて、ぼくはこれはちょっと違う。子供たちに対して戦争はかっこいいみたいな表現をしたらいけないんじゃないかという気持ちが、ずっとあったんです。
特攻隊の手紙や遺書を集めた『きけ わだつみのこえ』とか読んだとき、ほんとに惜しいなぁと思いました。これから日本を背負って立つ優秀な若者が“爆弾”として死んでいった。というより、ぼくは殺されたと思うんですね、
当時の日本軍の方針で。それで『紫電改のタカ』を描くことにしたんです」 柔和な人柄の中の、時代の趨勢や読者にこびない毅然としたこの姿勢が、ちばさんの作品に深い陰影と輝きを与え続けている。
と同時に、国家の暴走に対して再び沈黙しつつある私たちへの、これは鋭い問いかけでもあるのだ。
焼け跡の中から立ち上がった子供たちの、キラキラした目を描きたいというちばさんに、敗戦で得た日本の“良心”を見た思いがした。